奨学金事業

ペドロの本音

 

「ぼく、もう勉強はしたくない。」

 

え!?

 

私は、目が点になってしまった。

一緒にいたロサも驚いて、

「どういうこと??もう学校をやめるってこと?」

と聞いたら、そうだと答えるペドロ。

 

 

先ほどあったこの出来事に、わたしはどう向き合ったらいいのか、まだ答えが出ていません。

このぐちゃぐちゃした気持ちを言葉にできる自信がないまま、このブログを書きだしているけれど、何も書き残さないよりはいいだろうと思って、こうして今あったこととその時に感じた自分の思いを吐き出してみようと思います。

 

今日の午後、現地協力者のロサとともに支援している男の子ペドロの家へ行きました。

ペドロの家を訪れるのは、ちょうど2年ぶり。

あれから、2年といえどもいろいろなことがあった。

コロナやおばあさんの死。
ペドロの一家も大変な2年間を過ごしてきたのだと想像していたから、今日は直接お母さんに会って話をしっかりと聞きたいと思っていました。

2年前もあるいたこの道を通って、ペドロの家へ

ペドロの家がある周辺は、私が知っているエリアの家の感じとは違って、とても質素な家々が並んでいます。

ペドロの家はこの細い道の一番奥にあり、今日も2年前と同じ扉からお邪魔しました。

でも、入ってみるとどうも2年前と様子が違う。
以前台所などがあった場所がなくなっているし、面積が狭くなっている。

どうして?

と聞いたら、おばあさんが亡くなったことで兄弟で土地を分配し、もともと使っていたところは別の兄弟のものになってしまったらしい。

それで、現在彼らの住まいは本当に一つの部屋だけになってしまったようでした。

私は、この2年間この家族がどうやって過ごしていたのか、ペドロは普段どんな生活をしているのか、どこで勉強しているのか、一週間の家族の収入はどれくらいか、どんな食べ物を食べているのかなど、とにかく細かいところまで彼らの生活について聞きました。

今後のサポートの在り方を考えるために、今困っていることや必要なことなど聞くだけ聞いて、さぁ、そろそろ帰ろうかというところで最後に、

「なにか聞きたいことや言いたいことはある?」

と聞いたら、ペドロとお母さんはちょっとひそひそ話をしたあとで、ペドロのあの本音がこぼれたのでした。

ちょうど2年前の今日、私は「ここには、夢がいっぱいある」というタイトルの記事を書きました。

ここには夢がいっぱいある 2019年9月10日

あのころの、ペドロは夢を持っていました。

勉強は好きだけど、あきらめようとしていたペドロ。そんなときに中学校でも勉強できるチャンスをつかみ、とてもうれしそうだった。

私は、その思いをかなえられたと思っていて、どこかで気をゆるめていたのかもしれない。ペドロはきっと幸せでいると勘違いしていたのだと思います。

あれから2年後の今日、ペドロの口から
「もう勉強はしたくない。」と発せられたことに、私は自分の耳を疑ってしまいました。

確かに、コロナなどいろいろあって大変だったのはわかる。でも、成績もいいし、おとといだってオンラインで勉強頑張っていたじゃないか。

それなのに、どうして急にそんなことを言い出すの?

ペドロの気持ちは、こうだそうな。

「お母さんとお兄ちゃんは、家族を養うためにこんなに働いているのに、ぼくだけが仕事をしないで、勉強をしていることが、もう耐えられない。家族に申し訳ない。ぼくも今すぐに働いでお金を稼ぎたい。」

そんな状況などわかった上で、2年前ペドロは将来もっとお金を稼いで家族を助けられるようになりたいからこそ今は勉強をするんだって言っていたじゃないか?それに、今学校やめて働いたって、何するの?仕事はあるの?

「仕事は、なんとか見つける。」

そう答えるペドロ。

いつからそんなことを考えていたのかとたずねると、2,3週間前からだという。

なぜそんな風に考えるようになったかというと、ちょこちょこ訪れるトラブルにつかれてきたようです。
学校ではネットで先生からの連絡を受けたり、わからないことを質問したりするのだけど、家にはネットがないから勉強でわからないことがあっても、聞けない。だんだんそんな日々が嫌になってきたという。

さらに決め手は、中古で安く買ったケータイが昨日壊れて電源がつかなくなったそうだ。それで、オンラインの授業のリンクも開けないので、もう何もかも嫌になって昨日は黙ってロサの家を飛び出して家へ帰ってしまったらしい。

多分ほかにも、いろいろな要因が重なって、積み重なって今日「もう勉強はしたくない。」とこぼしたんだと思います。

私は、その場でなんと声をかけたらいいのかわからない中で、

「これは、あなたの人生だから、最後に決めるのは、あなた自身だよ。でも、私は数多くいるあなたみたいな子の中で、あなたに希望を感じで支援することを決めたし、支援している以上、本当の家族だと思って、あなたのことを大切に思っている。まだまだ希望は捨ててほしくないけれど、ペドロ自身が心からそう思って決断をするのであれば、私は引きとめないよ。ただ、本当によく考えた上で、最後の決断を出してほしいな。」

そんな風に言いました。

 

彼を引き止めることは、酷なことだろうか。

彼には、彼の世界があるのかもしれない。

私がいくら努力しても、彼の辛さはきっとわからないし、そうやってすべてを投げ出したくなる気持ちもなんの苦労もしてこなかった私にはわからないのだろう。

今、希望をもってがんばれ!といっても、彼にとっては、今日家族が食べ物を手に入れるお金を得ることの方が重要で、それが最も大切なことなのかもしれない。

「辛くっても、努力したら、道は開けるよ。」

なんて軽々しく言える人は、努力すれば報われる環境がそもそもあったからに過ぎない。

この世には、努力しても自分とは関係のない外部の要因ですべての努力や計画がぶち壊しになることだってある。

世の中は、不条理なことでいっぱいなのだから。

 

分かったつもりになっていた、「貧困」という壁。

私は、なにもわかっていないや。

私なんかが、彼に言えることってあるんだろうか。

なんの苦しみも経験していない、私なんかが

彼のような子と関わっていいのだろうか。

関わることで、彼を追い込んでしまっていないか。

所詮、私がやっていることはただの偽善で、自分がいい気持ちになりたいだけなのではないだろうか。

だとしたら、やっぱり何もしないで私は私の世界で、

ペドロはペドロの世界で、

これからも生きていった方が結局はいいのかもしれない。

 

私、なんでここにいるのかな。

 

ペドロが本音をこぼした瞬間、

私は泣きたくなった。

自分の無力さが悔しくて。

でも、それはできなかったから

家に帰って、一人で泣いた。

 

また自信がなくなってしまった。

私がやろうとしていることって、本当に未来に希望を生み出すものなのだろうか。

 

働きたいからという理由で学校をやめたいというペドロ。

恵まれた環境が与えられていてもそれに気づかず、なんでもめんどくさいという日本の子ども。

 

この地球に存在するあまりにも違う生活をしている同世代の子どもたち。

所詮、生きる世界が違うんだ。

そんな風に割り切っていいのだろうか。

 

私たちって、本当に生きる世界が違うのだろうか。

同じ地球に生きているのに、本当に世界は違うのだろうか。

 

今の私にはそう思えない。

私は、どうやってこの世界を見たらいいんだろう。

ペドロの本音は、私の生き方、世界の見方を考えさせられる、私への宿題なのだろう。