今日、ロサとともに私が個人的に支援すると決めた小6の男の子とそのお母さんに再び会いに行った。
この1週間で集めたできる限りの情報をもって、一番いい選択を彼らにしてもらうために。
提案の詳しい内容は、昨日まとめたブログで。
まずは、何よりも本人の気持ちを聞きたかったので、ペドロと話をしに学校へ。
提案①の奨学生として公立の中高ENROへ進学することについて、どんなメリットがあるのか、どれだけのチャンスがあるのか、という話をした。
ペドロはまさか、中学からこの村を出るなんて考えてもいなかったと思うので、少し驚いたような表情だった。
担任のロサが
「一度入学したら、簡単には村には戻ってこられない。セマナサンタとクリスマスの時期の2回しか、多分帰省はできなくなると思う。それでも、ここへ進学したい?」
と聞いたら、
少し考えて、
「うん、行きたい。」
と答えた。
小6の年で、親元を離れるなんて相当の思いがないと決められないこと。
ペドロは少し不安そうではなったけれども、”さみしさ”よりも”勉強したい”という思いが少しだけ勝ったようだ。
私たちは、提案①に対するペドロの反応を見てから、一応用意しておいた2つ目提案、地元の私立中学への進学の話もしておいた。
お母さんが、ENROへの入学を認められなかった場合は、こちらの案がいいかもしれないねと最後に言っておいた。
このあと学校の休み時間をつかって、ロサに同行してもらいペドロのお母さんの所へ話をしに行く。
いろんな情報を収集したうえで、ベストだと思う選択肢を2つ用意してきたので、聞いてほしいと伝える。
まずは、1つ目ENROの話。
お母さんもまさか12歳でペドロと離れるなんて考えもしていなかったので、全学費がタダで教育の質もよいという夢のような学校があるのか?と興味はもってくれたものの、やっぱりそれは現実的に今すぐには考えられなさそうだった。
これまで厳しい中でも、家族みんなで助け合って生きてきた一家。
かわいいペドロを今すぐに手放すことは、心が耐えられなさそうだった。
そこで、2つ目の提案、私立中学への進学について出す。
お母さんによると、先日突然私がペドロの家を訪れて、見ず知らずの彼に対して、就学を支援したいといった日から、家でもペドロは本当に喜んでいたんだって。
胸を高鳴らせて、
「本当に進学できるなら、○○学校にいきたいな。」
と言っていたらしい。
しかし、ペドロが言っていた学校は、私たちが提案した私立中学とは、別の中学だったみたい。
それで、私がお母さんに、
「私たちは、ここの私立中学がいいと思ったけれども、もしペドロが特に希望する学校があるならば、そこも視野に入れてもいいと思いますが、お母さんはどう考えますか。」
と聞いたら、
「私たちは、支援してもらえるだけで十分で、学校を決める権利なんてないわ。どの学校でも支援してもらえるのならありがたいから、サキにきめてもらっていいわ。」
と。
「ありがとう。でも、私が願っているのはペドロが自分の夢をかなえていくことだから、もし彼にその学校へ進学したい特別な理由があるならば、それを叶えてあげたいと思っていますよ。」
と伝える。
お母さんは、
「本当にありがとう。ありがとう。あなたはまるで、ペドロのお父さんみたいな存在です。ペドロにはお父さんがいないから、こんな風に支えてもらうのははじめてで。本当にありがとう。」
と強いまなざしで伝えてくれました。
最後に、もう一度ペドロに会いに行って、お母さんとどんな話をしたのか伝える。
まずは、地元にいてほしいって。そこで3年間頑張って、そのあと高校生になったらENROへの進学を目指してほしいって。
ペドロ自身もほっとしたような顔になった。
やっぱり、12歳で親元は慣れるなんて、簡単なことじゃないもんね。
でも、彼自身も3年間がんばったら高校からは外へ出て勉強するという意思をもってくれたので、私としても大いに彼の未来に期待できる。
進学先の学校について、希望があるのかな?と聞いたら、特に強い希望はないようだった。
学ぶところがあればどこでもいいって。
ロサと相談して、一応ペドロが希望したいと言った学校の学費などを調べて、比較をし、最終的な選択をしようということになった。
だいぶ話がまとまってきた。
明日には、一度この村を去るのでここでいったん彼らとはお別れ。
でも、日本への帰国直前(9月末)にもう一度ここへ戻ってきて、もう少しこの家族と時間を過ごして、私たちの仲を深めたいなと思う。
ペドロにとっては、中学校へ進学することがずっと夢だった。
日本では、だれもが保証されている中学進学という当たり前のことが、ここでは熱望するほどに叶えたい夢として思っている子どもがいる。
中学進学だけでなく、
毎日のご飯を食べることや、
安全な家に住むこと、
日々仕事があること、
教科書や本や勉強する道具があること・・・。
日本では、当たり前すぎて日常では何とも思われていないひとつひとつのことが、ここではそれらが大きな夢だったりする。
だから、逆にみると、ここは夢であふれている。
困難や不条理な社会があるからこそ、人々は必然的に闘うことになる。
その闘いの中で、人の命は輝いて見えるのだ。
私は、ここの人の暮らしを大変だなぁと思う気持ちはあるけれども、彼らの人生すべてを同情する気持ちでは見ない。
むしろ、彼らは私がもっていない、たくましく生きる力、家族の強い結びつき、小さな夢の数々に囲まれている。
それらに私は、憧れや尊敬がわいてくる。
私が、彼らと関わるのは、本当は彼らの力になりたいからなのではなく、私こそが彼らから力をもらうからなんだと思う。
また一つ、私の人生の中で大切なものができた。
心が喜んでいる。
< /p>
保守的な色が強いマヤ文化をもつ家庭で、こんなにも教育に対して理解のあるお母さんは珍しい。
お母さんとも、共にがんばろう!
と今日決意を新たにしました。