先週一週間は、本当に自分の活動と向き合わされた一週間でした。
ずっと温めてきた授業研究2017の開幕。
先生たちが先生たち同士で学び合う姿に、このプロジェクトが今後のこの市の教育の質を高めていく手段になるという確かな手ごたえを感じると同時に、このプロジェクトに対して拒否反応を示す先生方の生の声を聞くことにもなりました。
特に、自分が考えさせられた先生の発言は、
「研修会などで、新たなことを教えてもらえるのはいいけれど、それは各教師が自分の教室で実践すればいいだけで、あえて見せ合う必要はないのではないか。」
というものでした。
この時の私の解答は、
「では、その研修は誰が行うのか。私のようなボランティアが一生ここであなたたちのお手伝いをすることができない。あなたたちは、自分たちの力でここの教育を高めていく方法を考えなければならない。」
「授業の質を高めていくとき、一人で考えるのと、多くの人の意見を聞いて作り上げるのと、どちらが質は高まると思いますか。そういった、より質の高い教育を目指し、自分たちの手でよりよい教育を実現していく、それがこの授業研究なんです。」
先生の前では、あまりうまく話ができず、私の言いたいことは伝わらなかったかもしれない。
でも、私は自分がこういうことを必死に伝えようとしている中で、見えてきたことがありました。
「ここの先生たちは、もっと真剣にこの国の未来と向き合っていく必要がある。」
グアテマラは発展途上国で、他国からいろんな支援を受けています。
現に、私の任地にも、医療、環境、教育などいろんな団体の支援を受けていて、人々はその恩恵をあずかって生活しています。
支援を与えられる立場にある人が、助けを必要としている人に手を差し伸べることはいいことです。
でも、私は今回、先生の態度を見て、思ったことがある。
「まわりの支援に甘えている。」
と。
本気でこの市の10年後、20年後、今よりもいい教育を残したい、そんな風に真剣に考えて闘っている先生はどれだけいるのか。
今の社会は、よくない。
グアテマラの教育環境はよくない。
問題ばっかりの国。
そんな風に、みんな不満を言って生活している。
でも、それってさ、誰が変えていくの?
それは、私のような外国人ボランティアではない。
この国を誰よりも愛する、グアテマラ人自身のはずだ。
彼らから本気でこの国の未来を願う思い、
本気で変えていきたいという熱い思い、
それがなかったら、私たち外国人ボランティアがいくら奮闘したところで、一時的なものとしてそれは時が過ぎれば風のごとく消えていくでしょう。
だから、私はここサンティアゴの教育も、ここで働く先生たち自身がもっと本気で自分の職、使命と向き合っていかなければ、変わっていかないと思う。
じゃぁ、一体なにがここの先生たちが真剣に自分たちの国の未来を考えていくことの壁になっているのだろう。
わたし。
わたしというボランティアの存在。
こういったボランティアが何年も同じ市に居続けることは、その市が自力で成長していく力を弱めていくことになるのではないか。
そんな風に私は思ったのです。
この市は、いつまでもボランティアの存在に頼っていてはいけない。
思いのある先生はちゃんといて、知識を豊富に持っている先生もいる。
だから、できるはずなんです。
自分たちの力でもっともっといい教育を実現できる力はあるんです。
そこを今まで私は信じ切れなかった。
だから、赴任当初はこの地に2代目のボランティアである私は、後任を呼ばないと思ってきたのにも関わらず、次第に2年後に残せるものなんてなくて、いろいろと中途半端になってしまうだろうから、やっぱり後任は必要かも・・・。
そんな風に思っていました。
でも、今思えばそれは自分の逃げであって、本気でこの市の未来を考えた話ではなかった。
そう、だから私は自分の中でずっと問い続けていた問いについての答えが固まってきたのです。
「後任は呼ばない。」
そう思い出した途端から、この一年でやらねばいけないことがたくさん出てきました。
具体的に、どんなことが本当に必要となるのか、何を伝えていくべきなのか、何を語っていくべきなのか。
残りの一年で、ここの先生たちに伝えたいのは、
「グアテマラの教育を変えていくのは、あなたたちだ」
ということ。
その意識を覚醒させたい。
だから、私は残された時間の中で
「現地レベルで持続可能な発展のシステムづくり」
もう、このことだけにフォーカスしてやっていこうと思います。
できると思うんです。
この市なら。
『思考は現実化する』 ナポレオン・ヒル著
今、この本を読んでいます。
「この市なら自分たちでできる」
そう信じること、
それが私の活動の力になるんだと思う。
うん、信じよう。
この市の未来を。
10年後を、
20年後を・・・。