私は、過去に生きる人間にはなりたくないと思う。
でも、過去の自分が今の自分を励ましてくれることはある。
時折、あの時の自分に会いたい。
そう思うときに読むブログがある。
そこは、その時その時の私のありのままの言葉があって、過去の自分と今の自分で心を通わせられる場所になっている。
今日は、そんな昔の自分から今でも励ましをもらっている記事をいくつかまとめてみることにした。
2016年9月24日のブログ『ゆるすこと』
友人を失った直後に考えていたこと。
不完全な人間として生まれた以上、「ゆるす」ということができなければ、私たちはこの地上で生きていくことなど、できないのではないだろうか。
2018年2月21日のブログ『15年前の問いの答え』
バスケットだけに捧げた高校時代。顧問から言われた「がんばりすぎ」の意味が分からなかった15歳の自分。ついにその答えに、グアテマラの地でたどり着いたときの気づき。
2018年6月6日のブログ『今を選択して生きていこう』
自分の人生を呪いたくなり、すべてをリセットしたくなり、未来へも希望が見えなくなり、ただただ消えたいとしか思えなかった。
それでも目の前に広がる「今」があることを感じた。
人は、いつだって過去と未来に注目しすぎて、この世の「今」広がっている奇跡の連続に気づけなくなることから不幸は始まっている。それがどん底の中でなんとか行き着いた私の答えだった。
2018年7月23日のブログ『ありがとう、さようなら』
協力隊から帰国した日本で待っていた現実は、願っていた未来ではなかった。
どれだけ願ってもかなわないことは人生には存在する。
そのとき、一つ一つとお別れをすることも必要だ。でも、その別れは、悲しいものではなく温かいものなのだと、自分は考えることにした。なぜかこの記事を読むと、いまだに心がゆるんで、涙ぐんでしまう。
2021年6月8日のブログ『あなたの傷を大切にしてください』
自分が嫌いだった21歳の私へある人が書いてくれた手紙から、今でも心に刻まれていること。目をふさぎたくなる心の傷。でも本当は、そこから人生がより豊かになってくのかもしれない。
2023年5月11日のブログ『人生は、自己責任』
忘れられない痛みがある。
でも、そこにとらわれる人生にするのか、それとも自分の生命力を信じて、前へ進んでみるのか。
その選択肢が一人一人に与えられているという事実は、まぎれもない恵みであると思うのだ。