心と会話

人生は、自己責任。

今、激しく雨が降っている。

私は、雨が好きだ。

しっとりとする空気感、

聞き心地のよい優しい雨音、

雨が降っていると、どうも自分の心が研ぎ澄まされる感じがある。

 

読書をした。

他人の語る文章から人は深い学びを得ることができる。

それは、人間に与えられた素晴らしき特権だと思う。

時代を超えて、

場所を超えて、

ほかの人が感じ取ったことや学びを

この私に届けてくれる。

すごいことだ。

 

その中で、人は能動的に生きるということがすべてということを学んだ。

自分の幸せは、決して他人に寄らないということ。

●●が私に~してくれたから、私は幸せなのだ。

●●が私に~してくれなかったから、私は不幸だ。

自分の幸不幸を他人に寄ると考えることは、甘えであり、人としての未熟さだという。

 

かくいう自分も、かれこれ30年以上そうやって思って生きてきてしまったところがある。

ただ、幸いに自分は自分以外の人から、「すべては自己責任である」ということを教えてもらった。

それでは、本であったり、過去の人であったり。

 

以前、ある人から自分の心をぐちゃぐちゃにされたことがあり、自分はその先どう生きたらいいのかわからなくなった時期があった。

「あなたのせいで、私はこんな不幸な人生を生きている」

そんな気持ちをぶつけたく、私はどんどん醜くなっていった。

その人が最後に私へ言った言葉はこれだ。

「自分の人生、自己責任でお願いします。」

辛かった。

真実だったからこそ、苦しかった。

でも、私には痛いほどにわかった。

この残酷にも思える言葉が、その人の最後で最大の優しさだったということを。

私には自分自身で立ち直れる力があると信じてくれたからこそ、厳しい言葉で突き放してくれたのだ。

 

自分の人生は、すべて自己責任である。

 

それは、受け止めるには辛い事実である。

自分の不幸は、誰かのせいにしたいではないか。
その方が、ずっと楽に生きていけるのだから。

ただ、もう一方でそれは、大きな希望である。

起きたことは、すべて自分のせいである。

そう思えることができたら、もう他人は関係ない。
他人に振り回される必要はない。
すべて自分に責任があり、
それに対して行動できるのも自分しかいないのだから、
あとは、次の一歩があるのみである。

 

傷ついた自分を演じながら生きていくことも、

この先の可能性を信じて、新たに一歩踏み出すことも、

私には許されている。

なにを信じて生きていくのか、

それは、私という個に任されている。

どうして、そこを他人のせいにできようか。

 

自分の人生、自己責任。

そして、まずは決めることである。

どう生きるかを、決めることである。

自分で決めたことならば、人のせいにはできない。

感情に揺れ動くことは当然あるだろう。

でも、その時にたった一つの決意が私をまた光の道へ戻してくれると思う。

愛は、感情ではない。

意志である。

 

今日は雨に心をほぐされて、自分の心の深いところがでてきた。