21歳の私が、ある人からもらった手紙の中にあった言葉だ。
この言葉は、今でも私の心に生きていて、時折心の中でよみがえる。
「傷」
は、できれば無い方がいいものだと思っていた。
それは、できるだけ早く治ったほうがいいもので、
できることなら、完治した方がいい。
だから、大切になんかするもんじゃないでしょ。
そう思っていたけれど、この言葉をもらった時から、私は自分の「傷」は、何か尊いものなのかもしれないと思いようになった。
今日、またふとこの言葉が心の中でよみがえった。
時折、思い出すいろんな過去の出来事。
誰かに聞いてほしいわけでもなく、
同情がほしいわけでもなく、
ただただ、時折自分の心の中で思い出すいろんな過去がある。
突然涙が出ることもある。
でも、私はそれを悲しんではいない。
自分の中の傷は、ものすごく大きな力、愛を生むものだと、今ならわかるから。
だから、昔にもらったあの言葉の通り、私は自分の人生で与えてもらった傷も忘れてしまいたいなんて思わずに、大切にして生きていきたいと思う。
紫陽花を「きれい」という言葉を使わずに自分の気持ちを表現するゲームをした。
控え目な色彩が、その謙虚さを醸し出す。
青、紫、ピンクの中に、水色や紅色、緑色などが入り混じったなんとも言葉では表現できない色が存在する神秘さ。この色の名前はなんというのだ。
自分の中に、この美しさを100%表現できる言葉が見つからないモヤモヤ感。
そんな気持ちにさせるあなたは、もう私の心を奪っている。
この世界は、美しすぎる。
そんな世界の中で自分はなんと小さき存在なのだろう。
そんなことを紫陽花の季節に思った。