心と会話

いい子ぶっちゃって

そんなふうに言われるのが怖くなったのは、いつからだろう。

 

 

 

小学校では、学級代表などやってみたりして、自分がいいと思うことは、手当たり次第やっていた気がする。

 

大人しくぽつんといるクラスの子に話しかけてみたり、

 

資源回収に命をかけて、ゴミを漁ってアルミ缶を回収していたり(やりすぎか!)

 

お花見の公園でゴミがそこら中に落ちていたから、友達とみんなで片付けてみたり、(今思うと、まじでいい子じゃん)

 

みんなを笑わせられるように、おもしろいことしてみたり、

 

部活では、キャプテンをやり、

 

児童会もやり、

 

卒業式では指揮をふった(らしい。記憶にないが)。

 

 

 

 

でも、中学くらいから、前に立つことが嫌になってきた。

 

だって、リーダーやるの、得しないもん。

 

いいと思って行動しても、それに反発する強い勢力があると、結局傷ついて終わるだけ。

 

なんで、こんな苦労してまで傷つかないといかんねん!

 

なんか、もうめんどくさいわ。

 

何もしないで、横から見ているのが一番楽で、一番お得。

 

そうやって、どうしたらお得に人生歩めるのか学ぶのが、学校でしょ。

 

 

 

それに、まわりで先生陣に反抗しているヤンチャ軍団たちの方が強く見える。

 

ここでは、正義はダサい。

 

ちょっと、悪いことかじってるくらいが、いい友達付き合いができるのだ。

 

 

そんなこんなで、みんなで◯ンドームに蛇口で水を入れ、風船にして投げ合っていた中1の夏。

 

 

「いい子ぶっちゃって」

 

 

という言葉は、とてつもなく恐ろしい言葉であった。

 

少しでもいいことをしようもんなら、罰がくだされる気がした。

 

 

だから、仲良くしていた子が他の友達から

 

 

「あいつキモいよね。ビョーキだよな。」

 

 

と、笑われていた時、私は何もできなかった。

 

 

 

 

 

これは、私だけの物語ではないのだと思う。

 

なんとなく、良いことをしづらい雰囲気ってないかな。

 

ザ、いいこと というものをすると

 

「真面目だねぇー」

 

とか

 

「意識高いねぇー」

 

 

とか言われがち。

 

 

(かくいう自分も言ったことある。)

 

 

 

 

でも、もうそういうのやめないか?

 

っつーか、まず、自分(私のこと)からやめなよ。

 

自分の頭で考えて、いいと思ったことを、行動にうつすこと、

 

これって、その人の生き様じゃん。

 

 

 

 

自分の行動に責任持つのは、自分しかいない。

 

行動しないということの責任は、他人や社会が負う。

だから本人は罪逃れできる。

 

たしかに、それはお得な生き方だ。

 

でも、私はそれはダサいと思う。

これは損得の話ではない。

生き様の問題である。

 

 

 

私は、弱くて何もできなかった中学生の自分に胸はれる大人になりたい。

 

あの時の自分が、今の自分みて、鼻血出すほど惚れるような生き方をしたい。

 

 

 

 

「いい子ぶっちゃって」

 

 

 

 

これになんと言い返したらいいのか、今は思い浮かばないが、

 

とりあえず、無視してみようかと思う。

 

 

 

 

 

 

私は、自分の心と体と頭でいいと思ったことは、行動する人でいたい。

 

 

ごみはまたぐな。

 

 

 

 

 

 

 

 

やばい、脳内ぐるぐるモードから抜け出せずに、眠れない。

 

どうせ眠れないなら、浮かび上がってくる思考をブログに書こうと思って書いてみたが、これまた翌朝冷静になって読むと恥ずかしいやつ書いた気がする。

 

もう寝たい。

毎晩そい寝してくれるブリちゃん。

君は、これからもいいブリっ子ちゃんのままでいてくれ。