思い出話

こうちゃんから言われた一言

グアテマラの生活は、日本の生活よりもゆとりがある。

ゆとりが生まれると、自分の思考が自由になって、いろんなアイディアが出てくるし、過去の出来事についてもふと思い出す余地が生まれたりする。

例えば、トイレの便座に座っていて、ふと中学時代のあるワンシーンを思い出したりする。

なぜなのかわからないけれど、そういうことがここグアテマラにいるとよくあって、過去の自分との対話、今の自分との対話、未来の自分との対話と、

自分の中にいろんな対話が生まれる。

 

今日は、ふと思い出す過去のワンシーンを書いてみたい。

 

中学時代【悪口、陰口を言わない品性について学んだ一言】

今の自分は、だれかの噂話とか、陰口とか、悪口とか、そういう生産性がなく、自分にもメリットがなく、心にもいいと思えないことに時間を使うのは好きではない。

そもそも悪口とか文句とか、だれかを貶めることで自分の心を保とうとすることは、自分の弱さだ思っている。

だから、イラっとすることがある場合、友人に愚痴を吐くこともあるが、その人のことを他の人の人間的価値を下に見ることで、自分の仲間を得ようとすることはしない。

でも、そんな私も中学時代はそういう誰かの悪口や陰口で仲間とつながるということを好き好んでやっていた。

特に、一番ターゲットにしやすいのは、教師。

私の中学は、当時結構やんちゃな生徒が多く、「教師=敵」みたいな感じがあり、みんな教師を呼び捨てしていた。逆に、「~先生」なんていうと、まわりから「まじめか!」なんて言われそうで、言いにくかったものだ。

基本は、「あいつ」呼ばわりで、教師いじめも盛んにおこなわれ、ボイコットや、器物破損、教師の給食へ異物混入など、いろいろとひどかった。

私は、そういうのに加担することもなければ、反対することもなく、よくある傍から見て何もしないタイプの人間だった。(でも、あの時正義を掲げて行動していたら、間違いなくターゲットなっていたと思う。)

私自身も人の悪口を言って、友達と「あいつ最悪だよね~」というの楽しかった。多分、そういうことで心の結びつきが生まれることを喜んでいたんだと思う。

でも、そんな時代を生きていた時代のある子の言葉が今でも忘れられない。

彼は、見た目も中身もザ、優等生の男の子で、こうちゃんと呼ばれていた。

多分テストでは、毎回上位3位には入っていたのではないだろうか?

かといって、近寄り難い雰囲気もなく、やわらかい雰囲気のある彼で、誰かの悪口とか、人の嫌がるようなことは一切しない人だった。

リーダーをやるようなタイプではなかったし、別に口数も多いわけではなかったと思うが、とにかく見た目からしてめっちゃ賢そうで、人からはある程度認められていたんじゃないかな。

私は、そういう出来すぎている彼をいじりたくて、もっと弱いところを引き出したくって、からかっていた。

あるとき、そんなノリで彼をいじったことがある。

「ねーねー、こうちゃんは、嫌いな先生とかいないの??ね~、こうちゃんだって人間なんだから、嫌なこととかあるでしょう?この際、言っちゃいなよ。ね~。誰が嫌いなの??」

私は、教師の悪口を通して、こうちゃんと仲間になりたかったのだと思う。

そんな私に彼はにこにこしながら、こう答えたのだ。

「僕、嫌いな人はいても、その人の悪口は言わないようにしているんだ。」

あまりに、ストレートに言われたので、驚いた。

いつも、ひょうひょうど真面目をつらぬくこうちゃんは、見せかけの真面目ではなく、本当に誠実な人で、中学生にして人間ができあがっている!

そう思った。

自分との器の違いを思い知らされたのだ。

誰かをけなしてでしか仲間とつながれていない自分が情けなくなった。

そんなこうちゃんが、私はかっこいいと思った。
(恋愛感情は、1ミリもなかったが、人として本当に素敵な人だと思った。)

そこから自分もこうちゃんみたいに、かっこいい人間になりたいと思い、少しずつ人のことをけなして自分の価値を上げるような行為が減っていった気がする。

もう、20年近く前の出来事かもしれないが、あのシーンは今でもよく覚えている。

めがねの奥でにこっと笑いながら、さらっと言ったあの一言が、今の私の一部を作ってくれているのかもしれない。

 

今の自分って、これまでの過去が大集合して出来上がっているんだよなぁ。

何人の人を通して、私という人間は出来上がっているんだろう。

その人たちに直接恩返しはできそうにないが、その分目の前の人を笑顔にできる人でありたいと思います。

20年越しですが、こうちゃん、大切なことを教えてくれてありがとうございます。