家族&地元

私のお母さん

Happy Mother’s Day!

今日は母の日ですね。
そういうわけで今日は私の母について書いてみたいと思います。

私の母は、自分で言うのもなんですが、すごい人です。
私の母こそ、鉄人だと思っています。
22歳から定年まで38年間教師を続けながら、3人の子どもを育て、家では家事も子どもの遊び相手も手を抜かず、私では到底無理だと思うそんな人生です。
私は、同じ職業になってより、そのすごさを実感します。
さらにすごいのが、こんな生活をしながら、仕事の愚痴を一切家ではもらさない。
人一倍苦労した人生で、病気も多かった母。
それでも、退職まで教師としてやりきった人生。頭が上がりません。

今日はそんな母との思い出をちょっと思い返してみたい。

私のお母さんは好奇心旺盛な私がやりたいことを全部やらせてくれた。
だから小学校の時は毎日習い事。
かといって、教育熱心というわけでもなく、「勉強しなさい」とか何かを強制させられたことはなかったと思う。
(部屋が汚くて、掃除しなさいはしょっちゅうだったけど)

そんなお母さんもすごく怖いときがあって、それはピアノの練習の時。
はじめは自分でやるって言ったんだけど、途中からその練習がいやでいやで仕方なかった。
でも、小5くらいに、どうしても耐えられなくて、泣きじゃくって「もうやめたい」って言ったら、
「じゃぁ、自分で先生に電話しなさい」っていって、あっさりやめさせてくれた。

何をするにも、最終判断はいつも自分に任せてくれていたなぁと思う。
最近だと、子どもの問題なのに小さいことでもいちいち親が丁寧に「子供がこうやっていっているんですけど~」って電話かけてくれたりするけど、そういう優しさは、子どもの力を弱めてしまっていると思うなぁ。
私の母は、私が熱で休むときも「自分で通学団の子に今日は休むって言ってきなさい」と熱がある私を外へ送り出してましたね。笑

教師って仕事をしている以上、やっぱり仕事は忙しい。
小学生の時は言うまでもなく鍵っ子で、学校から帰るとき、家で待っててくれるのは、ペットのハムスターとインコだけ。

当時はそれが当たり前すぎてさみしいって思いより、自由で気楽!って思っていたけれど、いつかお母さんが病気で一年ほど休職することがあって、家に帰ったらお母さんがいるっていう時期があったときは、やっぱりうれしかったなぁ。やっぱり私はお母さんに甘えたかったし、大好きだった。

一番の反抗期はちょっと遅めの短大時代だったと思う。素直になれず、ひどい言葉で強いはずのお母さんを泣かせてしまったことも。

そのころのことで、今でも強烈に覚えている瞬間があります。
それはリビングでふと、お母さんの手を間近で見たとき。
すごくシワシワで、私の知っているお母さんの手じゃなくなっていた。
いつの間にこんなにヨボヨボになっちゃったんだ!と衝撃でした。

私は、お母さんが苦労しているときに、一体何をしていたんだろう。
なんで今まで気づかなかったんだろう。
なんでもっとお母さんのこと気にかけてこなかったんだろう。

私が苦労かけたからかな。
何もいたわってこなかったからかな。
私が自分勝手に生きて、心配かけてきたからかな。

どうしてもその老いた手が自分のせいなような気がして、申し訳なくて、情けなくて、一人部屋で泣きました。

時は流れ、気づくと絶対にならないと決めていたお母さんと同じ職業に、私もなっていた。
「もうやだよう…」「疲れたー」
家ではいつもマイナス発言の私。
そんな私に、甘い言葉はかけないお母さん。

「そんなこといってちゃ、目の前の子どもがかわいそうでしょ。」

そんなの一番自分でわかってる。だから、辛いんだとプリプリしていたけれど、本当は母が一番心配してくれていたのだと思う。

「私、青年海外協力隊へ応募しようと思う。先生は、もうこれ以上続けられない。」

はじめは、え?って感じでしたが、一度言ったら聞かないとわかっている両親は反対はしませんでした。

普通の親ならここで、危険だとか、この先どうするのとか、いろいろ言うと思うんですが、うちの親は、常に
「咲が好きなように。」
というスタイル。

親になったことないからわからないけど、これって結構すごいことだなぁと思います。
普通、口出ししたくなるでしょ。
でも、内心はすごく心配しているだろうし、不安だっただろうなぁと思う。

だから、この決断も親に対しては、悪かったかなぁと私も心では思っていたんだけど、ある時母が

「お母さんは、咲の決断に賛成だよ。一度、先生辞めるのいいと思うよ。」

っていってくれて、その言葉で私はすごく安心して、まわりからいろいろと言われたけど、退職を選ぶことができた。そして、その道を選んで本当によかったと思っている。
離れたからこそ見えるものがたくさんあるし、惰性で先生やっているよりも、もう一度ゼロから本物を志したいと今は思えているから。

お母さんは38年間、教員一筋だけど、それを娘の私に強要はしないし、私の選択も尊重してくれる。
器のでっかい人です。

母についての思い出はまだまだありますが、長すぎるので、続きは結婚式で。(あるかな?)

そんな家族からもまわりからもすごいと思われる母ですが、この母が一番人間らしさが出るのが、お父さんといる時。
お母さんは、お父さんには当たりが強い。笑
ささいなことでも、イラッとしたらお父さんには口調がトゲトゲしい。
それでよく口論になっていて、私はため息がでちゃいますが、よく考えてみると、鉄の女お母さんがこうやって本音出せるのは、この世でお父さんしかいないんじゃないかなと思う。

職場では「ザ、できる人」、家でも愚痴はこぼさない。
どこにいても弱さを見せず、誰の前でもいい人なお母さん。
そんなお母さんがこの世で唯一わがまま言えるのがお父さん。

私にはそう見えるな。

そう思うと、いつもけちらされているお父さんですが、実はお母さんにとってはかけがえのない存在なんだろうなぁ。
これからもケンカしつつも、仲良く二人で長生きしてほしいです。

振り返れば振り返るほど、母には感謝することしかありません。
でも、正直私はなにも親孝行らしいことをしていない。
家にいても家事をしない。
一番望んでいるであろう、結婚、孫を産むということもできていない。苦笑
でも、そんな私でも母の自慢の娘になれるよう、私は私の道でがんばっていきたいと思います。

いつもありがとう。お母さん。
これからも長生きしてくださいね。

直接プレゼントが渡せなかったので、代わりにお母さんと同じ歳のシニアの方に、プレゼントをお渡ししました。

今日はお花が好きなお母さんへ、駒ヶ根に咲くお花のプレゼント。
そんな母より私が最初にもらったプレゼントは「咲」という名前。
昔はありきたりすぎる、と思ってあまり好きじゃなかったけど、今ではとっても、気に入っています。

どの花も、みんなそれぞれの色をか輝かせていて美しですねー。