家族&地元

Loyaltyと私

loyalty /ˈlɔɪəlti/ ●●○ noun (plural loyalties)
1 [uncountable] the quality of remaining faithful to your friends, principles, country etc
2 [countable usually plural] a feeling of support for someone or something
(ロングマン現在英英辞典)

世間の様々なニュースや人々の中で、自分という人間を見たとき、自分の弱みや強みが見えてくると思うのだけれど、自分の強みは「Loyalty」だと思う。

日本語にすると「忠誠心」となるのだけれど、なぜかいつも英語の方が頭に浮かぶので、私はこの意味を正しく理解して使っているのだろうかと、英英辞書で調べてみた。

1の意味を読んで、やっぱりしっくりきた。

 

私、至らないところもたくさんあるけれど、この「Loyalty」は、私という人間のアイテムだと思う。

あまりこれを説明すると自慢っぽくなるので、控えめに話したいけれど、私は他人に対しても、自分に対しても、誠実な人間だと思う。(自然には、そうはできない人間だからこそ、そうなろうと努めている。)

ばれなきゃいいや、
見えなきゃいいや、
だまってればいいや

 

そういうことが、できない人間なのだ。

だから、馬鹿正直に行動して損をすることも多い。でも、それでもいいと思っている。

誰かをだまして、自分が得をする人生よりも、

誰かを信じて、損をする人生を選びたい。

 

私、どうしてこんな人間になったのだろう。

明かに、もともとこういう人間であったわけではない。

なんでかなぁと、過去にさかのぼっていろいろと考えてみた。

 

そこで、出た答えはこれだ。

「母の姿」

 

私の母は、激務とされる教師を38年間勤めながら、3人の子どもを育て上げた。

同じ教師になってみて、この仕事をしながら一体どうやって3人も子ども育てたんだろうと、今でもわからない。

 

母は、仕事に一生懸命だったと思う。

特別支援学級の担任として、とにかく児童たちと向き合う日々だった。

 

あるときのこと。
全長1.5mくらいの巨大なワニがリビングに出現した。

「なにこれ!!」

と聞くと、

「学校の国語の授業で使うんだよ。ワニと鳥たちが共存する話でね、こうやってワニの歯にはさまった食べ物を鳥たちが食べてお掃除してあげるの。」

と言って、新聞紙で作られた巨大なワニと鳥の絵がかかれたイラストにわりばしがついた道具を見せてくれた。

多分まだ私は、小学校低学年くらいだったと思うが、幼いながらに、

(お母さんすご~~~~!!)

と思った。

めちゃくちゃ巨大で立体的なワニを1から新聞紙で作ってしまうの能力もすごいと思ったし、

たった、数回の授業のためにここまで時間を使って教材を用意し、目の前の子どもにベストを尽くそうとする母に感動した。

他にも、母は障がいを抱える目の前の子どもと真剣に向き合い、教育論文も何本も書いて県で表彰されていたようだ。

与えられた仕事だけでも大変な教師という職業なのに、それにプラスで自発的に論文を書き、その上で3人の子どもを育て上げたのだから、もう怪物かなぁ?と思ってしまうレベルだ。

 

母は母としての全力の力を家庭でも注いでくれていたし、仕事に対しても真摯に取り組んでいた。

学校から帰っても「ただいま」と言ってくれる人はいなかったけれど、別にそれは日常だったし、寂しいとは思っていなかった。

そんなことより、母は母の人生を一生懸命生きていて、その姿から私はきっと多くを学んだのだと思う。

まじめに生きること、目の前の人に対して一生懸命になること、与えられた世界の中で力を尽くすこと、それが私にとって当たり前であった環境を作ってくれたのは、はやり母の姿があったからだったと思う。

 

私は子育てをしたことがないから、大口たたく気はないけれども、親として子どもにできることは、「自分が一生懸命生きること」だと思う。

なんでも子ども第一に考えて生きることが、本当にいい子育てではないと思う。

例えば、母は私の小学校の卒業式に来なかった。
自分の受け持ってきた児童の卒業式に出席することを選んだからだ。

私は、その時自分の子どもの卒業式ではなく、
他人の子どもの卒業式を選んだ母を誇らしく思う。

家庭のことよりも、社会の中での自分の使命、責任を全うした母が誇らしい。

人間は、本来そうやって、自分のことよりも社会や他人のために全力で生きていくような生き方のほうが美しいと私は思う。

そういう価値観を教えてくれたのは、きっと母だったのだろう。

もちろん親子であるから意見が合わないこともあり(そもそも母と私は性格が違うので)、ぶつかることも多いし、そんな母も人間だから不完全さをもっている。

でも、時が過ぎて、自分って人間をもう一度見直してみたときに、母から受けた影響は大きかったなぁと感じている。

 

なんとなく、今の社会は親がなんでも子どものために時間やお金をかけることが、愛情だと思っている節があると感じるが、私はちょっと違うと思う。

自分の生活スタイルを子どもに合わせて決めていくことが全部子どもにとって本当にいいこととは限らない。それよりも、いかに自分という一人の人間が、この社会の中で誠実な姿で生きているかという態度の方が、本当の意味で子どもが大切なことを学んでいくのではないだろうか。

 

私は、親が願うような人生を送れなかったと思う。
いつも突拍子もないことを言い出して、驚かせてきた。(最近は、もう慣れたといってあきらめてくれているので、やりやすいのだが。)

ただ、例え私が両親の望むような生き方ができなかったとしても、彼らがこの世を去るときに私を育ててきたことを誇りに思える生き方をしようと思う。

そして父から教えてもらった優しさと、母から教えてもらった忠誠心で私はこの世に変化をもたらしたい。

それはきっと微力かもしれない。でも、私は私に与えられた能力の分だけ、その使命を果たしていくことに力を注いでいきたいと思っているのです。

 

 

父とのエピソードはこちらから

私の中のやさしさを育ててくれたもの