思い出話

忘れられないYの姿

週末は、他の隊員を訪れ、別の街へ行っていました。
同じ国の派遣でも、いろんな任地があるんだなぁーと、感じます。
 
 
でも、今日は、そのことを書くのではなく、バスでの移動中考えていたことについて、書いてみたいと思います。
 
というか、バスの中で考え事しながら、ケータイに打っていた文です。
 
 
 
 
 

最近のことは、すぐ忘れるのに、幼い頃の思い出って、すごく鮮明に覚えている。

 
 
そんな記憶のアルバムを、文字にしてみよう。
 
 
幼稚園から一緒だったYという男の子について。
 
「優しさ」ということについて考える時、私は彼のことを思い出す。
 
 
彼は、特に目立つタイプの子でもなく、勉強もできるほうではなかった。
また、ちょっとポッチャリ系で特に女子からの人気があるわけではなく、いわゆるフツーの男子であった。
 
 
一方私は、元気な女の子だったし、リーダーとかやりたがるタイプ。
勉強もそこそこでき、別にモテなかったけど、誰とでも仲良くできるタイプだった。
 
 
でも、私は彼に完敗したと思った事件があった。
 
 
あれは確か小学3年生くらいだったと思う。
 
ある子が、廊下で嘔吐した。
 
小学3年生というと、結構お年頃。
みんな「うえー!〇〇がゲロ吐いたー!」っと言って、教室に逃げる。
 
私も傍観者の一人だった。
みんな、先生が処理してくれるだろうと、待っていた。
 
 
そんな中、Yは、バケツと雑巾を持ってきて、一人無表情で、その汚物を処理し始めた。
 
 
私には、その姿は衝撃的だった。
 
(なんで、そんな汚いの触れるの??)
 
 
Yは、黙々と一人掃除していた。
 
誰かの助けも求めず、誰かの目を気にすることもなく、自分ができることを黙々とやっていた。
 
 
そんな彼を見て、私は本当に心の優しい人の姿とは、彼のことを言うのだと思った。
 
この時、私は自分の器とYの器の大きさの違いはショックだった。
 
自分って、なんてちっちゃいんだろう。
 
 
また、彼はクラスの暴れん坊がキレて誰かを殴り始めると、必ず、体を張って止めにかかるやつだった。
 
私は怖くて、近づけなかったけど。
 
 
そう、彼は、いつも目立たないけど、ここぞという時、いつもクラスを救ってくれていた気がする。彼はそういうやつだった。
 
 
私は、その頃、自分で自分のことそこそこ「いい人」だと思っていたが、違った。
 
人が困っている時、助けが必要な時、辛い思いをしている人がいる時、
体を張って、行動できないやつだった。
 
Yは、勉強ができなくても、デブと呼ばれても、異性にモテなくても、本当の意味で、かこっこいい奴だった。
 
私は、こいつにはかなわんと思ったのでした。
 
 
 
 
あの時の彼の姿を、20年たった今でも私は鮮明に覚えている。
 
そして、本当の優しさとは、彼のような姿のことなんだって今も教えてもらっている。
 
 
恐れもなく、まわりの評価も気にしない。
ただただ、目の前の人や状況にどう自分が行動できるか、それだけにフォーカスする。
 
ここに命のたくましさと輝きがある気がする。
 
 
まだまだ私は小学3年生のYに追いつけていないかもしれない。
 
でも、そんな彼の内なる魅力に気づき、それを忘れずにいる自分は、目指したいものをもっていて、ふとしたときに、その方角を見る力をもっているってこと。
 
 
本当の優しさ。
 
私もいつか、そんなこと意識しなくても、自然に、当たり前に、Yのように優しい想いからの行動が誰かの記憶に残っている、そんな存在になれたら素敵だな。
 
 
 
明日から、授業研究に向けて、ひとふんばりの日々が始まる!
 
今回新たに挑戦することも多い分、失敗と壁も同時にやってくるだろうけど、とりあえず、今やれる力で前進!
 
 
 
新たな1週間が始まりますね。
 
みなさんにとって、誰かの見えない優しさに気づく、
すでにある自分の中にある優しい思いに気づき、カタチにする、
 
そんな1週間になりますように!
 
 
 
 
日本に先駆けて、パイレーツ新作見たぜ!!
とても見応えありの一作!
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あとは、牛の乳しぼりました。
 
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(やさしくしぼってね。牛より)

 
 
 


モーモー。