心と会話

日本と私

最近、言葉にしきれない切なさを感じることがある。

それは、私の心がここ日本で全くときめきを感じていないことがありありとわかってしまう時だ。

例えば、モールなどにいて、可愛い服や小物を見ても、私の心は全く、ほぼ1ミリも反応しない。

少し前までは、ちょっとは服見ても「かわいいなぁ」くらいは感じていたと思うのだけども、今は何も感じない。

今日は、コンビニスイーツを見て同じことを思った。

甘いものも,今は魅力的に思えなくなってしまった。

私の心は、コンビニスイーツもおしゃれな服も、もう求めていない。

ここには私が欲しいものが全くないのだ。

世間の人がかわいいというものに、なんの感情も沸かない。

自分とこの社会にものすごく心の距離がある気がして、切なくなる。

もう、一日本人の感覚がわからなくなってきた。

 

自分は,日本人なんだから、母国へ貢献できる人になりたいと、協力隊を終えてから思った。グアテマラ人が自分の国を愛しているように、私も母国をもっと愛していこうと思った。

だからグアテマラのことをやってはいるものの、日本の子どもに何か還元できる活動も忘れてはいけないと思っていた。

だから、グアテマラに行ったとしても、拠点は日本だと思っていた。

 

ただ、日本にいればいるだけ、気がついてしまう。

ここに、私の心が本当に喜ぶ場所が見つからないということを。

 

今日はなぜだろう、そのことを鮮明に感じた。

 

グアテマラで生きていきたい。

コンビニスイーツよりも、道端で売っている手づくりのアレコレを。

可愛くてエレガントな服よりも、お気に入りの布でオーダーメイドしてもらった一着を。

日本にいても、グアテマラのささいな日常にある幸せを恋しく思っている自分がいる。

 

そんな自分を見て、母国を心から愛せないことを少し悲しく思う。

こんな感情を持ってしまっていいんだろうか。

母国よりも遠い異国に心を向けていいんだろうか。

 

日本にいる私は、心から笑うことがない。

すべてにおいて、切なさを感じ、どこか憂いを感じている。

これが今の日本と私。