心と会話

コンフォートゾーンの外で生きる

中間発表会をやると宣言し、今こそ宣伝しないといけない時だというのに、今日もやろうと思っていたことができなかった…。

この中間発表会をやりたいという動機や目的は間違っていないと思うし、子どもたちの頑張りをもっと多くの人たちに知ってほしいというのは、本心。

でも、なぜか一方で自分の体がそこに向かってエネルギーを放出できていないことを感じる。

 

またこの時期がやってきたのかな。

 

時折やって来る、この不安感。

数日前までやる気にみなぎっていた自分が嘘かのように、ふと力が体に入らなくなることがある。

目の前の仕事ができない、

簡単なメールが書けない、

To DOリストが進まない。

 

時間がないわけではない。
体調が悪いわけでもない。

ただただ、体が動かない。

やる気にならない。

できれば、エプロン作って気を紛らわしたい。(最近、エプロンを手縫いで作ることにはまっています。)

 

これって、教員やっているときにも年に数回はこういう時期がやってきて、苦しみました。

(自分ってなんて無能なんだろう。どうしてこんなに簡単なことができないんだろう。どうして仕事が進まないんだろう。)

そんな風な思考がぐるぐるして、何もかもが嫌になる状態。

精神が参ってしまった時はとくに、体も心もコントロールできなくなり、ふっと涙が出てきてしまったり、ぼーっとするしかできなくなったり…。

今思えば、うつ症状だったと思うんだけれど、今もあの時期に近い状態に陥りそうになることが年に数回ある。

 

今は、その波が来たのかな。と感じる。

何に不安なのかわからないけれど、何かが不安なのだ。

ただ、周りの人たちは応援してくれ、支えてくれ、喜んでくれ、なんだかうれしそうにしてくれている。

それなのに、何に不安がっているのか、よくわからない。

 

そんなとき、ちょうどいいタイミングでメールをくれた友人がいて、少し弱音を吐いたらこんなことを言ってくれた。

「咲はずっとコンフォートゾーンを越えに行ってるんだと思うんだよね、未知だから怖かさがあったり、不安になったりするのかなって。うまくいってもいかなくても、新しい世界を見られることは決まってるし、私はそういう咲を見ることを目的にしてるから大丈夫。」(中間発表会を1番乗りで申込んでくれ、その目的のことを言っていくれています。)

 

そうか。私は、ずっとコンフォートゾーン超えながら生きているのか。だから、時に体がびっくりしているのかもしれない。

安心できる場所にずっといることに満足ができず、常に知らない世界をのぞいてみたくなる。

安全よりも冒険がしたい。

安定よりも挑戦がしたい。

その中で、失敗することもあるし、恥ずかしくなることもある。

傷つくこともあるし、悲しくなることもある。

 

それでも、コンフォートゾーンに留まっていることができないのは、私の特性なのだろう。

本当は対した器でもないのに、自分に課しているハードルをいつも高くしてしまうから、常に生きづらさがある。でも、それでいいじゃないかといってくれる人がいて、そういう私がいいんだといってくれる人もいる。

この特性は、抑えようと思っても抑えられるものではなく、その先に困難があるとはわかっていても、止められないものなのです。

変えられないのなら、そういう自分を受け入れて、時にしょんぼりりながらもまたコンフォートゾーンを抜け出して、そして再び落ち込むというサイクルを私はくるくる繰り返す中で、生きていけばいいのかなと思ってきました。

 

落ち込んでいる最中は、苦しさもあるけれど、これもまた次の世界に羽ばたくための準備期間なのかもしれない。せめて考え方だけは、前を向いていたいと思う。

 

とりあえず、今日はいったん寝ます。

明日は、少し回復しているといいなと思います。

 

 

最近はエプロンつくっているときが一番心が落ち着く。

ミシンは使わずに全部手で縫っているんだけれど、こうして一針一針進めるだけで、いつのまにか一つの作品ができあがることに感動する。

そして、こうやって何かをゼロから作り上げる力が自分にはあるのだということが、目に見える形で実感できて、うれしくなる。

どうせつくるなら誰かのために作りたいと思い、

現在身の回りの人にどんどんプレゼントしています。

贈り物をしたい人がいるということ、

それだけで、幸せが目の前にあるということ。