そろそろ人生も折り返しという季節が今の私。
人生というのは、面白いもので、年代ごとに世界の見え方、人生のとらえ方が変わってくる。
きっと今見ている世界も、40代、50代、60代、70代、では、また違って見えるのだと思う。
だから、人生のこの季節だからこそ感じることを書き留めたいと思うのだ。
去年出会った本でPHP出版の『偽りの愛・真実の愛』(加藤諦三)という本があるだが、ここに書かれている内容の真実性を感じている。
私は、この本から愛について新たな学びを得ている。
一言で言うと
「愛は祈りである。」
ということ。
”愛とは、そのはじまりにおいてもその完成においても常に祈りと共にある。自分の無力を知るものだけが祈る。この自分が相手に何もしてあげられないことを涙と共に悲しみ、ただひたすらに相手の幸せを祈る。”
”どんなに自分が相手を愛しても、それだけでは相手が幸せになれないことを知って、あとの部分はひたすらその人のために祈る。それが愛ではなかろうか。その人のために耐え、その人のために食べ、その人のために本を読む。その人のため、と思うことであらゆる苦しみに耐えられる。それが愛である。”
昔、教員時代、尊敬する先輩先生がこう言っていた。
「僕たち教師が、子どもたちにしてあげられることなんて、何もないんだよ。とても無力な存在なんだ。」
私は、その時、それは違うと心の中で反論していたが、今ならわかる。
そう、愛する者にためにしてあげられることなど、本当は何もなくて、愛を贈る側はとても無力で、孤独な存在だ。
ただ、その人の幸せを願う気持ちが本物であるならば、自ずと”祈り”があふれてくる。
この本では、こんなことも言っていた。
孤独に耐えうるだけの強さがない限り、人を愛することはできない。
”自分で自分を支えることができることができる人間のみが人を愛することができるのである。そして自分で自分を支えることのできる人間は死と苦しみの中から生まれてくるのであって、決して温かい温床から生まれてくるのではない。”
苦難に遭うと、もう生きていけないなと絶望を感じる。
でも、実はこの試練や苦難は、私が本当に人を愛することができるようになる切符でもあるのかもしれない。きっとそうだと思う。
この本に書いてあること、他に個所も全部そうなのだが、実に厳しことが書いてあり、読むだけで自分の中には真実の愛などないことがわかってしまう。
でも、それに気づくことができたことが、私にとっては大きな一歩である。
最近、寝る前に目をつむりながら祈る時間をとっている。
自分の無力さがわかってくると、祈ることしかできないと気づかされる。
自分の中には、まだまだ真実の愛はないようだ。
今の私には、まだ孤独に耐えられる強さがない。
でも、少しずつ、少しずつ、真に人を愛することができる自分に変わっていきたいと思う。
そうなれるように、今日も祈りと共に生きたいと思う。
この思いを歌にしてくれている曲に出会いました。
“I wish you love”
いつか、弾き語ってみたい!