心と会話

人として生まれたからには

ちょっと前のブログにも書いたのだが、私には、近くに住むおばあちゃんと散歩をして,1人ではお風呂に入れなくなったおばあちゃんをお風呂に入れるという日課がある。

 

それが諸用のため、1週間ほどおばあちゃんの家に行けなかった。

 

今日久しぶりにおばあちゃんの家を訪ね、お風呂に入れて、背中をゴシゴシとこすってみると

「あー、気持ちいなぁ。」

ととっても嬉しそうだったおばあちゃん。

そんなおばあちゃんの反応に、ものすごい喜びを感じた。

自分の行動で、おばあちゃんが喜んでくれていること。

これって、深い幸せだなぁと。

 

確かにベッドでゴロゴロ寝ている時も

幸せ〜

と感じる時もある。

大自然に囲まれて、その神秘を心で感じる時も、幸せを感じる。

でも1人で得る幸せや喜びよりも、

他者へ貢献した時に

「自分の存在が何かになっている」

と感じるこの喜びは、1人で感じる喜びとはまた別のレベルの幸福感がある。

やっぱり人として生まれたからには、自分の人生自分で完結したくない。

自分の思いと行動で

人や社会に貢献し、

それによって何か少しでも誰かの笑顔が増えたり、

社会にいいエネルギーが巡ったりしたら、

人は深い幸福感を感じる生き物ではないだろうか。

 

おばあちゃんの

「あー、気持ちいぃなぁ。」

は、高価なアクセサリーや服よりも

おいしい食べ物よりも、

私の心を満たしてくれた。

 

今日は、生きていることに喜びを感じた。