今年の自分、何度も書いているけれども「怖かった」というのが一言目の感想。
そして、来年へのビジョンを想像している自分の中に湧いてくる感情は、
「怖いなぁ。」
であるのが、正直なところ。
なんでだろうか。
多くの人が背中を押してくれているし、励ましてくれている。
全員に認められてはいないかもしれないけれど、この1年で自分のことを応援してくれている人がいることを何度も感じる事実があったし、確かに人の心を動かす活動をできたと思っている。
でも、そんな今でも怖いと感じて、前に進むことをためらってしまうのは、どうしてなのだろう。自分でも不思議なのである。
そんなことを考えていたけれど、事実と向き合うのがなんとなく嫌で、深い思考をすることを避けてここまできてしまった。
ようやく今、もしかしてこれが原因かも?という答えらしきものが出てきたので、忘れないうちにブログに書き留めておこうと思い、観光ビザを更新するために来ているメキシコのカフェにて書いている。
ズバリ言うと、
自己防衛なんです。
自分が傷つくことが怖いのです。
期待した未来がこなかったら、自分は傷ついてしまう。だから初めから期待しない。
昔も書いたことがあるのだけれど、このことを実感したのは、高校バスケ。
私は、自分の身の丈に合わないレベルの高校のバスケット部に入部した。
そこでは、中学校まではなんでも簡単に一番になれたのに、「自分だけできない」が初めて日常になった。
でも、やる気だけは満々で入部した私は、きっと自分にだってできる。努力すれば試合に出られる。
そう信じて人一倍練習した。
そうして迎えた試合の日。
私の名前は呼ばれることはなかった。
一緒に入部した1年生は皆、顧問から期待されて、どんどん起用されているのに、私はいつまで経っても名前さえ呼ばれない。コートにさえ立つ権利すら与えられない。
私の落胆具合はひどく、こんなに努力が認められないこともあるのかとがっかり。今までにない屈辱だった。
あまりにがっかりしてしまい、この先も努力が報われる気がしなかった。
(こんなに落ち込んでしまうのは、試合に出られるって信じ切っていたからだ。それなら、そもそも初めから自分の名前は呼ばれない思っていない方が、傷つかないじゃないか。そうだ。自分は、できない人間だ。そう思っていれば傷つくこともない。)
ダサい考え方ですが、自分のメンタルを守るためにそんなことを考えました。
その後の話は、別のブログで書いたのでここで割愛しますが、今の私も怖がっている原因はこの時と同じ状態だと思うのです。
期待に応えられない現実が来ることが怖いんです。
その期待は他人からの期待もあるけれど、自分自身が自分に描いている期待です。
(私には、こんな未来を作れるかもしれない!)
と思う一方で、
(できなかったら、自分に失望するな。他人もがっかりさせちゃうだろうな。)
という声が聞こえてくる。
傷つかないようにする唯一の方法は、
初めから期待しない。
自分にできるなんて思わない。
挑戦しない。
ということ。
きっとそうすれば傷つくこともなく、がっかりすることもなく、平穏に暮らせるかもしれない。
きっとそれはそれで真実なんだろうな。
でも、自分は傷つかないためにこの世に命を与えられたのだろうか。
頭ではそうは思わない。そんなはずないということは、頭ではわかる。
ただ、自分だって平穏に暮らしていたい、傷つきたくないという自己防衛本能をもつ人間である。
心では、自分の力を信じること、挑戦することにブレーキがかかる。
傷つきたくない。
そんな心の声が、いつも何か新しいことをしようとする度に(そんな恐ろしいことやめようよー)と訴え、怖いという感情を生み出してくる。
では、どうしたらそんな状態から抜け出せるのだろうか。
やっぱりいろいろ思うけれど、結局は
「お前は、どうやって死にたいんだ?」
っていう問いにしっかりと答えられる自分であるかどうかではないだろうか。
自分の本能だけ頼りにすると、逃げたくなる。
でも、その道を本当に進みたいかというと、そうではないと自分の魂が言っている。
どう生きるかは、どう死ぬかを決めない限り見えてこない。
死ぬときは、自分が持っているすべてのものを使い切り、命を完全燃焼させた状態でありたい。灰になって、塵になって、宇宙に還りたい。そうした結果、後世に魂が宿るような人生だったら本望。
そんなフレーズが今の所しっくりする。
自分は、自分の持っているものを使いきって死にたい。
どうせこの命は自分で得たものではない。もらったものだ。それなら、それを自分の為だけに使うのは、やっぱり間違っていると思うし、使い切らないといけないと思う。
自分の動物的本能も役に立つことはあるけれど、当てにはならない。
どのような志を軸に、日々を生きるのか考えて行動していかないと、すぐに怠惰になる。いくら口ではいいこと言っても、最近の自分は貪っていると、自分が一番よく知っている。
結局、怖がっている自分は、これからどうするか。具体的な答えまでは、今日は書けなかった。
でも、原因は見えつつあるのだから、もうあと少し自分と向き合う時間をとったら、答えも出てきそうだ。
今年もあとわずか。
人から受けてきた恩に対して、どうお返ししていけるかを考える時間にしたい。