発見

「苦手な人」は自分を見る鏡。

久しぶりに、Twitterを開いてみた。

Twitterは、いろいろな情報、リアルな情報、ニッチな情報が詰まっているので、これまでもこのSNSの場から学ばせてもらったことは数多い。

だけれども、Twitterはなぜか心がざわつく。

なぜなのだろう?

会ったこともない、

話したこともない、

触れたこともないのに、

なぜか、「この人苦手だ…。」

と思う人がいる。

にもかかわらず、フォローを外せない人。

それはとても不思議な存在である。

なぜ、私はこの人になんとなく不快感を覚えるのだろう?
その人は決して悪い人ではない。むしろ素晴らしい人だ。
正義感があり、社会のために行動し、愛にあふれている。(と、世間からは見えているっぽい。)

でも、なんかそう見せている?という気がしてしまって、

なんとなく、私は心からその人のことを信用できないでいる。

思い返せば、そういう印象を受ける人はSNS上で何人かいる。

私は、その人のこと何も知らないのに、勝手に判断しているのだが、どうして自分の中にそうやって知りもしない人のことをなんとなく毛嫌いしているのだろうかとわからなくなる。

多分、

「ねたみ」

という感情が一番近いと思う。

では、なぜねたみという感情が湧き上がるのか?

それは、おそらくだけど、自分の中に隠されている願望を外の人間が実現していることに反応しているのだと思う。

もしくは、自分が大切にしたいと思っている信条からはみ出している行為をしている人を見たときに、拒否反応が出ることもある。

どちらにせよ、苦手な人と出会った時に見えてくるのは、自分の内部に隠されている本当の自分だ。

だから、苦手な人はできれば避けたいけれど、実はじっくりと観察してみると、自分でも気づいていない自分が見えてくる。

まるで、自分の中の中にある自分を見える形で映し出す鏡のように。

SNSとの付き合い方は本当に賢くなければいけないなぁ。

それは、自分の心を覆い尽くし、自分というものを見失わせる力もあるし、

自分という人間を奮い立たせる力にもなる。

私のこのブログもSNSの一部だとすると、このブログを見た人は何を感じているのだろう?

でも、ここで感じたことは、実は私の生き方や考え方なのではなく、あなたの心の奥にあるあなた自身なのかもしれない。