28歳の女性。
幼い時に両親と兄弟を災害で亡くし、妹と2人で何とか生き抜いてきた人。
そして、2か月前に旦那さんをコロナで亡くして、未亡人になった人。
小さい子ども2人をどうやってこれから支えていくのか、まだ答えはないようです。
どうして、彼女にだけこんなにも試練が降ってくるのだろう。
グアテマラでは社会保障制度が全然なくて、未亡人や孤児になっても、助けてくれるところはないそうです。
こういう弱者が守られる環境がない事実を見ると、この国の脆弱さを感じずにはいられません。
表面だけ見れば、マヤの文化があり、自然があり、本当に美しい国。
でも、その美しさの裏に、ものすごい困難の中生きている人がいるのも、また事実。
そういう事実を見ると、当然いい気分になることはないので、人々はあまり目をむけないのかもしれない。
しかし、社会の中で一番苦しんでいる人を一番に手を差し伸べることが、私たちが本当にすべきことなのではないだろうか…。
そうやって私自身が考えるのであれば、私自身が実行していかなければ真実ではないし、口だけいいこと言おうとする無責任な大人になってしまう。
彼女が言った言葉が忘れられない。
「夫は、孤児として育った私を受け入れてくれたの。彼は、私が生きる「力」だったの。子どもたちの前では、強くあろうと努めているけれど、今でも夜になると、ただいまって、帰ってくる気がして、この事実を受け止められないでいる。」
最愛の人を突然なくすというのは、どれだけの痛みがあるのだろうか。
私は、想像するだけで涙がうかんでしまう。
でも、その強烈な痛みを人生の中で2度も味わっている彼女。どうして、こうも不平等に試練は降りかかってくるんだろう。
何か、私にできることはあるかなぁと、考えをめぐらしています。
とりあえず、子どもたちが学校へ通えるようなサポートはしたい。
それから、両親がなくなったことで小学校3年生までしか学べず、現在安定した職もない彼女。
そこでふと、浮かんでいることがあります。
「私の趣味でやっているこのエプロンづくりを一緒にやれないかなぁ。」
28歳ならまだまだ若いし、新たなことを始めることだってできると思う。
仕事は、人に生きるエネルギーを与えてくれるし、それが生きる希望になるかもしれない。
もともとシングルマザーの職づくりも将来のビジョンには入れていたし、遅かれ早かれこの可能性を試行錯誤したいと思っていた。
もしかして、彼女との出会いはその一歩を踏み出すチャンスなのかもしれない。
今日、はじめて会った彼女だけれど、なんだか他人ごとに思えなくって。
もし、彼女とエプロン作るなら、買ってくれる人いるかなぁ。
彼女の手から生まれた製品ってだけで、「たくましさ」の塊としてのアイテムになるのだろうなぁ。
今日は、結局夜までずっとそのことで頭がいっぱいになっているのでした。