つぶやき

ライン消えた事件。

先日、自分のミスでラインの本人確認ができなくなり、電話番号も日本のものから変わっているため、完全にラインが開かなくなった。

いろいろと試してみたが、どうも無理そうだ。

そういえば、ラインを初めて使ったのはいつだろうか?

記憶にないけれど、多分大学生のころだろうか?

もしかして、社会人になってからかもしれない。

そこから、中学生の同窓会グループ、高校の友達や寮の友達、大学の仲間や恩師、ゼミのグループやサークルのグループ、社会人になってからは同僚の先生方、卒業してからは教え子や保護者の方など、

思えばラインというSNSを通して、何百という人と自分がつながってきた。

それは、とても便利だったし、簡単に話したい人と個人的に話ができる画期的なものだ。

それが、予期もせぬうちに一瞬にしてすべて消えた。

 

あれ?これってつまり、もうあの人たちと連絡取れないってことかな?

 

ショックだった。

さみしいと思ったし、ずっとつながっていたいと思った。

 

でも、どうやら本当に開かないらしい。そんなことあるかい!?とイラつきそうになったが、そんな感情とは別に「これは、いいチャンスととらえられるのかもしれない。」

とも考えた。

というのも、最近今後の残りの人生の時間を何に使うか、誰に使うかということに対して、ものすごくよく考えるようになっていて、自分が持っている資源は、有限であるという事実は避けられないことも感じていたからだ。

 

自分の時間は無限じゃないし、

自分が一緒に過ごせる人の数も限られている。

 

だったら、本当につながるべく人とだけつながり、その人との関係をより濃いものにしていったらいいのではないかと思った。

だから、すぐ切り替えた。

もう、過去にこだわるな。未来を見ろ。

過去に出会った人も、私とつながるべき人はきっとどこかでまたつながるチャンスがやってくるし、この時代、本気で連絡を取りたいと思ったら、なんとか探し出せるはずだと。

 

だから、連絡を取らない何百というお友達リストなど、今の私にはなくてもいいのだ。

それなら、本当に私がつながっていたいと思う人、または私とつながっていたいと思う人とだけこれからつながっていけばいい。

ということで、新しいラインアカウントをつくった。

現在友達登録は約10名ほど。でも、みんな私とこれからつながっていたい言ってくれた人たちだ。そんな風に思ってくれるなら、必ずこの出会いを後悔させない生き方をすると決意できる。

連絡取れなくなり、あの子どうしているだろうか?と気になる人もいるけれど、連絡がとれなくなると、逆にその人への思いを馳せることができる。

それはそれで、とても純粋な気持ちで大切にしたい感情だ。

会えなくても、つながっていなくても、心に想い、幸せを願える人がいるというのは、幸せなこと。

 

今回のライン消えた事件、これはこれでよかった。