日本はありえないほど充実した教育環境があるにも関わらず、子どもたちは学習に対して非常に受け身で、意欲が低いと言われるのは、どうしてだと思いますか。
教師がひとりひとりに合った学習を提供していないから?
教育委員会が現場をわかっていないから?
文部科学省の方針が間違っているから?
どう思いますか?
私は、こう思うんです。
「背中で語る大人が身近にいないから。」
大人は、あれやれこれやれ、
あれダメこれダメと
言うには言います。
でも、あなたはどうですか?
「あいさつしましょう。」
と言いながら、道ですれ違う人にあいさつしていますか?
「嘘をついてはいけません。」
と言いながら、自分をよく見せようとごまかしていることありませんか。
「約束は守りましょう。」
と言いながら、言っていることとやっていることが違っていませんか。
私もまだまだできていないことだらけなので、大口たたける身分ではないのですが、少なくとも日本の子どもたちがこれだけ豊かな教育環境を生かして、自分の学びを深め、社会へ貢献したいと思うことができないのは、自分の責任だと思っています。
自分という一人の大人が、この社会に対して本気で行動できていないから。
そんな自分が子どもに対してもっとやれ、もっと学べ、ということはなんだか不誠実な気がするのです。
今、日本に足りていないのは、「行動する大人の背中」です。
貧困問題も、教育格差も根本的な解決は、ただの物資の支援ではだめだと思います。
本当に社会を変えるには、目の前の問題を見て見ぬふりせず、自分にできる範囲で実際に行動することが当たり前の社会の実現することだと思うんです。
私は、これを
「ごみをまたぐな」
というモットーでやっています。
問題は、教育環境ではなく、教育委員会でもなく、文部科学省でもない。
あなたという1人の大人が、背中で語っていないということなんです。
「かっこいい!」と思わされる大人がまわりにいて、自分の未熟さを痛感すれば、子どもは自ら自分を磨いていくと思います。だから、子どもの心に火がついていないのは、そういったロールモデルがいないからだと思うのです。
そういうわけで、私はグアテマラの教育というフィールドで活動していますが、本当にやりたいことは「行動する」人を増やすことなのです。
使える時間や体力が限られていても、スピリットの伝播は無限にできる。
今は、目には見えないウイルスが世界中に広がって人々の生活を大きく変えましたが、それを例えとして利用して考えてみたら、目には見えない小さなスピリットでも、感染力の強い志があれば、人と人が介して瞬く間に世界に大影響を促す働きに変えることも可能であるということだと思うのです。
子どもへの変化を求める前に、
背中で語る大人に。
口だけではなく、行動しませんか。
それこそが、子どもの心には一番効果的だと思います。
まずは、自分から。
現在、お茶の間から隙間時間で参加可能な「お茶の間協力隊」を募集しています。
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