毎日、上がったり沈んだり、子どものように純粋なセニョリータの心はいつも忙しく変動します。
今日は、下がった一日。
いやぁね、わかってはいる。
頭では、わかっているんですよ。
簡単な話じゃないって。
そして、ボランティアの分際で、外国から来た小娘にたいしたことなどできないってことも。
でも、目の前の現実を見つめるとやっぱり苦しくなってしまう。
授業中、先生が教室にいない。
子どもをほったらかしで、事務作業。
ほったらかしにされている子どもたちは、教室で走り回って遊んでいる。
それが、一つの教室ではなく、全教室が、学校全体がそうである。
それに誰も違和感を感じていない。
研修会、時間になってもだれも来ない。
30分遅れでスタート。(1時間しか時間ないのに。前回も同様。)
研修会中、おしゃべりしてこちらの話を一切聞いていない。
別ごとをやって、まったく興味をしめさない。
研修が終わったら、あいさつもなしにさっさと帰る。
文化が違うのはわかっている。
「違う文化に触れたい。」
「異文化を楽しむ。」
海外旅行ならば、これがきっと目的で、それが面白さであると思うんですが、自分とは違う文化の中で「生きる」となると、言葉で言うほど簡単なことではないと、今日は改めて感じたのでした。
人の話を聞く、
時間を守る、
授業の時間は授業をする、
日本の常識はほんっと、こちらでは全く存在しない。
私がもっている感覚は、こちらのひとの中には存在しないので、そこで私が何か言っても、結局なにも伝わらないでしょう。
ここは、私がどうこうして変えられる簡単な話ではないので、この中で生きるということしか選択肢はない。
自分とは違う文化の中で、ここでできる選択肢を探して、この地にあったアプローチをしていくのが、このJICA ボランティアの働き方なのですが、それが時にほんとうにしんどいと感じる。
文化の違いは尊重するものだ。
そう頭で思うのと同時に、体は「なんだこれ?!居心地悪いよ~。」と拒否反応をうったえてくる。
子どもの学力の実態も、相当深刻。
考えれば考えるだけ、しんどくなる。
この状況で、何ができるんだろう、と。
心の底で「どうでもいい」って感覚がないとやっていけないなぁと思います。
「こうしなきゃ、変えなきゃ、学力あげなきゃ」
って思うと、目の前の現実を見る度に、本当に苦しくなる。
だから、もちろん力は尽くすのですが、「まぁ、変わんなかったら、変わんないで仕方ない。」
って思っていないとやっていられない。
異文化で生きるって、思っていたより難しいなぁって今は感じています。
でも、そんなんだからこそ、日本では感じなかった感動もあったり。
たとえばね、今日の話。
子どもの学力テストは各学年5人の子どもだけに行ったんです。そうなると、全員の先生の理解と協力がいるわけです。
子どもたちを同じ場所に同じ時間に必要な数だけ呼び出し、必要な説明をして始める。
今日の一つ目の学校、前からお願いしておいたのですが、子どもの招集にすごく時間がかかった。
時間になってもなかなか子どもが集まらない。
数名は来るが、全員がそろわない。
そろわないから、始められない。
5分前の会議の中で、校長先生も連絡したはずなのに、担任の先生は話を聞いていないからか、忘れているのか、子どもにそのことを伝えていないようだ。。
結局、予定時間を大幅におくれてスタート。
はじめるまでに、心のエネルギーをかなり消費。
一方、午後の学校では予定時間に学校に行ってみると、校長先生
「もう、用意できているよ。ここの部屋で子どもたちはみんな待機しているから。」
と言われ、行ってみると子どもたちは各学年ごとにおとなしく座っている。
こんな風に環境を整えて私を迎えてくれるなんて、協力的なんだ!
これだけで、ちょっと泣きそうになった。
日本では、こんなのあたりまえ。
学力テストがあったら、子どもたちは席に座って待っている。
何かで招集があったら、みんな時間通りに必要な持ち物をもって、やってくる。
学校で何か行事があったら、先生たちはみんな自分の仕事に責任をもって、ことがうまく進むようにそれぞれが気をきかせて、自分の仕事以外でも動いたりする。
でもさ、これって本当は当たり前じゃなかったんだ。
本当に、これって当たり前じゃない。
これって、まじ、すごいことですよ。
もし、私が今日本の学校にもどったら、すべてのことに感動しそうです。
子どもが朝、学校に時間通りにくる。
先生方は、その登校時間のずっと前に学校へ勤務する。
先生は、朝昇降口に立って、子どもを迎える。
朝の職員打ち合わせが時間通りに始まる。
その打ち合わせで、人が話している連絡を、職員全員がおしゃべりせずに聞く。
先生たちが教室が行くと、子どもたちは自分の席について、静かに読書をしている。
教室にゴミが落ちていない。
朝の会、先生が指示しなくても子どもが勝手に進めていく。
先生たちは、授業の準備をしたうえで、教壇に立つ。
授業中、子どもたちは席に座っている。
ふらふらどこかへしまう子がいない。
悪いことをしていたら、先生は注意する。
先生たちは、授業でつまずいている子がいたら、気にかける。
休み時間が終わったら、みんな自分の席についている。
掃除の時間は、みんな掃除をしている。
みんなのものは大切に扱う。
勤務時間外の部活動にも先生方は、自分の時間と体力をささげる。
勤務時間外に、授業準備、会議、事務作業、そして目の前の子どもたちのために、なにができるのだろうかと日々悩みながら、葛藤しながら、働く。
これらのこと、ここでは「ありえない」ことです。
日本で当たり前に過ぎていたすべてのことが、
本当にすべてのことが、
ここでは、夢のような世界に感じます。
今の私には、日本で起きている一つ一つのことがミラクルでしかないと感じる。
きっと今、私が日本の学校に一日行けたら、感動して一日泣いていると思います。笑
でもそう感じるのは、この世界で生きているからこそ。
だから今の私がすることはこの文化で生きていくこと。
まだ日本の常識が体に残っていて、そのギャップに直面するたびにしんどさもあるけれど、もう少ししたら、ちゃんとこの文化をもう少し受け入れた上で自分にできるアプローチができるかな?
研修会、一部の人は興味を全く見せてくれませんでしたが、私は伝えれることは伝えるって思いで、力を振りしぼった。
1人の先生でも、なにか私が提供するものから新しい世界を見出してくれたらうれしいと思います。
サンティアゴでは3月に子どもたちの大きなスポーツ大会があって、今はそれに向けた練習で盛り上がっています!というわけで授業はつぶれまくりですが、どんな大会になるのか楽しみでもあります!
明日も、ここで、生きよう!