私たちは、いつかは死ぬ存在です。私たちの人生は有限です。私たちの時間は限られています。私たちの可能性は制約されています。こういう事実のおかげで、そしてこういう事実だけのおかげで、そもそも、なにかをやってみようと思ったり、なにかの可能性を生かしたり実現したり、成就したり、時間を生かしたり充実させたりする意昧があると思われるのです。
『それでも人生にイエスと言う』
ヴィクトル・E・フランクル
前に書いたブログで、死ぬ時は「祈る」ことで人生をしめくくるというような内容を書いたけれども、この本を読んで気がついた。
未来では常に何が起こるかわからないのに、私の生涯の時間の中で「死」という人生の終わりがあることだけは常に確定していた。
それが私の生涯の中で得た感動、出会い、喜びを作ってくれていたんだと。
もし人生に終わりがなくって、永遠に続いていたら、今行動する理由もない、一期一会の出会いへの感謝もない、何かを達成したことへの感動の浅かっただろう。
でも「死」がいつも私の未来の先で待っていてくれたからこそ、自分の人生が輝いたんだと思う。
だから,その時がやってきた時には、「祈り」に加え、「感謝」も唱えよう。
この人生の終わりが与えられたからこそ、自分の命を輝かせてくれた。そのことに感謝して、去ろう。
自分の人生の締めくくりの姿を決めたら、なんかちょっとここからの時間ある楽しみになってきた。
私の最期はどんな感じだろう。
もし願わくば、その瞬間誰か心から愛する人のとなりで永遠の眠りにつきたいな。