奨学金事業

貧困の連鎖について考える

私の活動が扱っている社会課題の一つは「貧困」です。

でも、あまり貧しいって言葉は好きじゃないので普段はあまり使いません。

ただ昨日と今日は、改めて経済的な困難と子どもの学力とその先にある人生について少し考え込んでしまいました。

私が始めた奨学金事業も、家庭に経済的な困難がありつつも、学業優秀で将来性がある子どもへ希望の道を開くためのものです。

ただこの活動を通して、子どもとその家族、家庭環境を直接みさせてもらうことでだんだんわかってくる生々しい事実があります。

 

その子の家庭の経済状況と子どもの学力の相関関係。

毎回英語プログラムでどうしても遅れをとってしまう子ども、他の生徒よりも学習のペースが遅い子ども、そういう子どもの家庭環境を見てみるとやっぱりなかなか厳しいものを感じることが多いのです。

家がものすごく小さくて、狭くて、そもそも落ち着いて勉強ができる場所がない。

壁も薄く、隣との距離も狭いので、オンラインで繋いでも常に雑音が入る。

母親は、とにかくその子は生活リズムを整えられず怠けていると言っていました。

でも、どこまでが彼女本人のせいなんだろうか。

規則正しい生活習慣が身につかないのも、何か他の要因がある気がします。

 

思えば、日本でも同じことが起きていたかもしれない。

学習に困難がある子どもは、家庭が落ち着いていなかったり、集中して勉強ができる場所もなかったかもしれない。

小さい頃から読み聞かせをしてくれる大人が近くにいなかったのかもしれない。

 

グアテマラにいると、家庭環境と子どもの学力の関係がすごく生々しく見えて、私はどうここにアプローチしたらいいのだろうかと思ってしまいました。

最初から助けようなんて傲慢な考えはありません。

でも、本人に強い意志があり、夢を強く描ける力のある子ならできる限りのサポートをしていきたい。

 

今候補生の中で完全に遅れている子がいて、もう2回ほど彼女を励ますために家庭訪問をしています。

現役奨学生を含めても、この団体が関わっているすべての子どもの中でも最貧困層の彼女。

何が正しいのか。自分にはわからないことばかりですが、とりあえず明日私が夢の家で作業している間に「家ではなかなか集中できないだろうから、来たかったら来てもいいよ。」とメッセージを送りました。

彼女へは少し特別扱いしているようにも思えますが、個々に必要なサポートは違うはずなので、今は自分の頭で考えて、より良いと思う道をその都度選択していきたいと思います。

その子にはなんとかくらいついてきて欲しいと願う日々です。