つぶやき

私は強い人間なのでしょうか?

無事グアテマラの空港にはいることができました!

ひとまず日にちは間違えていなかった(2018年の過ち)。

あとはカプチーノ飲んでいる間にフライトが飛んでしまわないかを気をつけることと(2017年の過ち)、メキシコ乗り換えで預け入れ荷物の列に延々と並んで時間が過ぎていることに気づかず荷物受け付けてもらえなくて乗れないようなことはないようにすること(2021の過ち)です!

ここからおよそ日本に着くまでに2日間あるので、空いた時間で今まで書けなかったブログを書いていこうと思います。

今から書こうと思うのは、「強さ」について。

最近立て続けに、「強いね」って言われるんですが、私は自分が強い人間だと思われていることに少し違和感があってですね、そこら辺を考えてみたくなったのです。

実は「強いなぁ」と言われても、あまりうれしくはないんです。

なぜかというと、自分がどれだけ弱さを持っているか自分はよく知っていて、それなのに周りからはそう見えるということは、私はどこかで人をだましてる?ウソついている?って気になってしまって…。

強さってなんなんだろうな。

とりあえず自分の弱いと思うところは、

決めたことを続けられない、淡々と物事をこなせない、一定の心の安定を保てない、綿密な計画を立てられない、やると言ったことをやりきれない、自分に自信がない、見えない未来が怖い、人のことを信じて託せないなどなど…

毎日自分の至らなさにガッカリするし、そんな自分を信じて応援してくれる人に値する人間になれていないことへの不甲斐なさを感じながら生きています。

だけど、人からは「どうしてそんなに強くいられるのか」と尋ねられて、それに対する答えが自分にはないのです。

ただ、最近自分の言葉には魂が宿るようなことはあり、以前は語尾を濁していたところを言い切るようになっている気はしています。

例えば、私の活動報告会でこんなことを言いました。

「私と出会えておめでとうございます!私はこの出会いを絶対に良きものにすると決めています!だから私と出会えた皆さんは、ラッキーです!」

前から人生の中で偶然にも出会えた人に対して、良きものを提供したいという思いはありました。でもここまではっきりと語尾を濁さずに、言い切った自分は確かにおもしろいと思います。

こういう姿に人は「強さ」を感じていただけたようなんです。

強さとは、なんだろう。

昨日Ryokoちゃんと筋トレをして、全然筋肉がなくって全身ボロボロだった私。フィジカル的な強さはもうない。

では、強さとはなんだろう。

いざという時に、誰かを守れることが強さだというのはわかりやすい。

でも、私にはいざという時に誰かを守れる力などあるのだろうか?

強さとは、なんだろう。

時にどれだけ説得しても、意見を変えない人がいる。そういう時に私は「こいつ、強えぇ。」って思うんだけれど、ある意味ワガママな人って強いという印象があります。

ゆるぎない心。

人に流されず、環境に屈せず、未来に妥協しない。

欲しいものを手に入れるまでワガママを突き通す。

これは正直他人からしたら迷惑だ。

でも、ある意味こういう人って強い。

私はずっとワガママな人生を歩んできてしまった。

幼稚園の頃はみんなを暴力でねじ伏せ、自分の願いは叶えられるまで泣きわめいていました。

周りの大人はさぞかし大変だったでしょう。

ただ、その時に見捨てず私のワガママに付き合ってくれたまわりの大人がいたことが、他人から見た私の「強さ」を光らせているのかもしれません。

私は強いわけではなく、きっとただのワガママさん。

弱いところがたくさんあって、自分に何度も失望して、気持ちをごまかして上手いこと世間渡りができなかっただけの人間。

そんな弱さがあるから、強さというものが働くのかもしれない。

自分は決して強い人間ではなく、ただのワガママなのだけれど、そのワガママでだれかに強さを与えられるのなら、それでもいいかもしれない。

今日も不安定な心をもちながらも、平和の道具になりたいというワガママの中で、弱い自分とお付き合いしています。

重量ギリギリを攻め、入らなかったコルテはコートとして身に纏い日本へ帰国中!