心と会話

イイこと、ワルイこと

この週末、印象に残る言葉と、新たな発見をしたので共有します!

{BE4A105A-E33E-4AB3-B137-40CFA65A397F}



まず、印象に残ったNちゃんの言葉。

同期で同職種、任地から一番近くにいるってことで、なんだかんだ最近、毎週のようNちゃんに会っていますが、彼女との時間がなかなか私にいい刺激を与えてくれる。


この週末、ほかの隊員が前々から計画してくださっていた「湖に顔出す朝日を見ようツアー」参加のために、2週連続でサンペドロへ。

私とNちゃんは、先週偶然出会った子どもがいろいろ活動するワークショップへ顔出すために、ちょっと早めに集合。

子どもたち、意外にちゃんと私の名前まで憶えていてくれていて、見た瞬間に「サキ~」と声をかけてくれた。


今日のテーマは、「いろんな角度からのデッサン」。

その中に、けっこう上手に描く子がいて、「あなたはとっても上手ね~」と何度かほめた。

Nちゃんにも「この子、本当にうまいね~。」とか言っていたら、


N「でも、上手に描くことだけがいいことではありませんよね。」


と返ってきた。


私は、反射的に「そうだね~」と答えたのですが、正直私の中では


「上手に描くこと」=「いいこと」


という価値観があった。


Nちゃんはすごくなにげなく、この言葉を発したけれど、私はこの言葉がすごく心に残ったのでした。


いいとか悪いとかって、なんだろう。

いいとか悪いとか、誰の基準なんだろう?


聞くところによると、このワークショップ、貧しい家庭の子どもを集めて無料でいろんな教材も与えて、こういう機会を提供しているんだとか。

だから、本気で絵を描く技術を伸ばすことが目的ではないのだろう。

一人一人の子どもにいろんな世界を見せて、学ぶ機会を用意して、そこで日ごろ出せない自分の姿を出したり、発見していくところなのかもしれない。


でも、これまでの私の視点って、いつも


これはいいもの


これはわるいもの


そういう見方で子どもとかかわってきた。

いや、多分今もそんな自分がけっこういる。


そういう感覚から、自然とそれが声となって現れるような発言を子どもにしてきた自分に気が付いた。

昔に比べれば、広い視野で世界を見られるようになってきたと思っていたけれど、子どものもっているそのままの心の姿を見る前に、自分の中の「いいもの」「わるいもの」って感覚で発言していたなぁと感じました。


そんな狭い感覚で子どもを見るんじゃなくて、もっと広い視野と、おっきな心で子どもとかかわっていける大人になりたいと思ったのでした。




もう一つも、ちょっと似たテーマなんですが、ここ最近すごく思うのは、


「人生に起こる出来事で、いいこと、わることとかない」ってこと。


これって、いろんな人が言っていることだから新しい考えじゃないんだけれど、今日の私のここの結論に至った経緯を簡単にお話しします。


今週、お隣のケツァルテナンゴ県というところで、帰国を目前にした先輩方の最終報告会が設定されていまして、2年間で大きな変化をもたらした小学校教育隊員の報告会をぜひ、ここの教育学区長に見てもらいたいと思い、ダメもとで一緒に行かないかと誘ってみたんです。

すると、意外にも「行きたい。」との返事。

よっしゃ~!


しかし、ここで問題が。

ここサンティアゴアティトラン、この市自体はとても平和な街なんですが、この地域の近辺で最近強盗などの犯罪件数が急上昇。

ということで、移動手段をJICAの方からかなり厳しく制限されています。

ほんっと、条件に適う移動手段がない!

もしやいけない?


いろんな条件を考慮して残った手段が、運転手つきの車を雇うこと。


しかし、これには結構なお金が。
それは、私の現地生活費の5分の1の額。

いやぁ~、正直厳しい。

でも、ここで「行きたい。」と言ってくれた学区長の思いを壊したくない。

しかし…。


あの言葉がよみがえる

「お金で解決できる悩みなんて、最高じゃないか!」

大金ははたいて購入したオフィスのコードを捨てて、がっくり落ち込んでいた私に友達が投げかけてくれた言葉。詳しい話はこちらへどうぞ。
そうだ、これはお金で解決できる問題である。
多少苦しくなるが、死ぬわけではないし、別に生きる分にはお金が足りないなんてことにはならない。
そんなことより、学区長の気持ちを優先したい。


ってことで、車の手配をすることに決定。

すると、基本ケチな私は「ほかの場所で節約できるものを節約していこう。」という思考へ。
ってことで、一食いくらとなっている、家でのご飯に頼らず、今月はできるだけご飯は台所をかりて自分で作ろうとさっそく、買い物へでる。
買い物への道のりで、セニョリータは思った。

お金がない→節約する→ご飯を自分でつくる機会を与えられる→新たな世界がひらかれる

お金がないって事実が、自分を新たな行動へと搔き立てた。
それを感じた私は、「お金がないってことって、悪いことじゃないのかも」と思った。

お金はあったに越したことはない。

そうずっと思っていた。
そうやってまわりの大人たちはみんな言っていたし、お金がない方がいいなんて聞いたことがない。

でも、待てよ?

お金がある人生、ない人生。
どっちが幸せなんだろう?

きっと、お金のある人生もたくさん幸せを得られるチャンスがあるんだろう。
チャップリンも映画「ライムライト」の中で「人生に必要なのは、勇気と、想像力と、ほんの少しのお金さ。」と言ってたしね。
お金は必要ではあるんだろう。

しかし、お金のない人生は、お金では買えない働き者という人格を与えるかもしれない。
どうやったら、お金を手に入れられるか?と工夫したり、今までとは違う新たな扉を開くチャンスになるのかもしれない。

実際、日本とグアテマラ、日本人の方が圧倒的にお金持ち。
ものもいっぱい、生活も安定。
でも、人々の笑顔は…?

これは、本気でお金に困ったことがない私のたわごとかもしれないけれど、今日私は、
「お金はあってもなくても、どっちでもいいんじゃないかな?」
って思った。

リアルに数字として形に表れるお金は、なくなったら、怖いって思ってしまうもの。
でも、本当に必要なものにつぎ込むのであれば、なにも恐れることはないんだよね。

「ない」からこそ、得られる世界がある。
それは「ある」人がいくらのぞんでも、見えない世界。

結局自分がどういう姿勢で目の前の現実に反応していくかであって、お金のあるないが人生を決めるわけじゃない。
きっとどっちもおもしろい。

それで、これってお金だけのことじゃなくって、物事なんでもそうなんじゃないかと思う。

いいこと、わるいこと、

そんなの人生にあるのかな?
なんでも、意味があってことが起きているわけで、いいこと、わるいこと決めているのって、自分でしかない。
じゃぁ、自分がそのものの見方をかえたら、人生には希望しかない。
そんなゴールにいきつくのです。

私が大好きな人から教えてもらった言葉、
卒業生に送った言葉、

Life is 10% what happens to you and 90% how you react to it.

Charles R. Swindoll 

だから、最近「なにが起こってもおもしろい」と思える。
いろんなことへの執着心がなくなってきた気がする。
今の自分が望む人生はあるけれど、それが叶わなくても、きっとその先でもっとおもしろくって素敵な世界が待っているんだろうなって。
そう思うと、なんでもいっかなって。

今日も、この命とともに、また一つ勉強させていただきました。


とか、ブログを書いている間に、学区長から電話

「サキ、市役所から車かりられそうだから、これにのっていこう。」

と。

あれ?なんか、お金の問題解決しちゃった。

神様は、私がこの状況でどんな選択するか見てみたかっただけなんだね。



JICAの仲間とみた湖の朝日、素敵でした~!
30分のハイキングでつけるところなので、みなさんがこちらへお越しの際は、一緒に行きましょうね!

{9B77D8AE-84C8-44C8-8825-175EA6A2F2E9}

{97DB1A6B-08EC-4AE4-9C03-4524825A65A3}