奨学金事業

新たな出会い

今日は、ロサと支援対象候補者の家を訪問することになっていました。

その子を訪れる前に、ロサと昨日の一件についてお互いの意見を交わしました。

ロサもペドロの一言には、大変驚いたようで、ショックを受けていました。

「ペドロは私がさきに紹介したんだから、今回のことは私の責任だわ。ペドロには、覚悟が足りていなかったと思う。だって、さきは彼が勉強できる環境はすべて与えていたし、私も彼に対して誠実にやってきた。ここまで、与えられているの自分から投げ出しちゃうってことは、彼自身にそこまでのやる気がなかったのだと思う。彼のお母さんは、自分でもっと積極的にお金を稼げる道を探せばあるはずなのに、与えてもらうことに慣れてしまっているから人生を悲観ばかりして、助けを待っているように見える。お母さんがそうやってマイナスな考えばかりで、貧困と闘おうとする姿勢がないから、ペドロもそんな風に考えたんじゃないかなぁ。」

そんな風に言っていました。

実は、このロサは彼女自身も小さいころ、とっても貧しい家庭で育ってきて、ペドロの家よりももっと質素な暮らしをしていたらしい。でも、母親がとにかく励ましてくれて、家族みんなでお金を稼ぐ手段を探し、必死に生きて何とか道を開いてきたらしいです。

だから、ペドロの母親の姿勢だったり、ペドロ自身がこのチャンスを投げ出そうとしていることに残念な気持ちと、あきらめの気持ちがあるように見えました。

ペドロがあんなことを言い出したのは、いろいろな要因があると思うし、私ももっとできたことがあったのではないかとは思います。

でも、実際問題本人にやる気がなくては、もう支援は続けられないし、私も中途半端な気持ちでやってもらっても、こちらも全力でサポートできない。

だから、ペドロがもし本当にもうやめたいというなら、それを受け入れるつもり。少なくとも、彼には自分自身で人生の選択をしたという機会を提供できたという事実は残るはず。だから、彼にとってもきっとこの2年間には意味はあったのだろうと思います。(思いたいです。)

 

いろいろと今後、どのような児童を対象とするかについて少し話をした後、ロサとともに新たな候補者のお宅へ行ってまいりました。

ペドロの家に行った時にも感じたことですが、2年間住んでいたサンティアゴアティトラン市なのに、まだまだ私の知らないエリアがあり、そこは私が見てきた家々とは違うタイプの住宅が密集しています。

屋根はラミネートで、とてもシンプル。

なんの色もついていない灰色のブロックで建てられた家がほとんどなので、なんとなく暗い雰囲気がします。

今日、訪れたおうちはこの先にありました。

この家は、お母さんが一人で二人の娘さんを育てている家庭。

お父さんは、子どもたちが幼い時に病気で亡くなったようで、そこから本当に大変な思いをしながら、子どもたちを養ってきたそうです。
この国には、母子家庭を支える社会保障がないので、ひとり親になった時点で一気に貧困家庭へと転がっていき、そこから這い上がることは簡単ではありません。それを思うと、日本の社会保障制度がどれだけ多くの人の生活をカバーしているのかということに気づかされるとともに、先人たちがそういう制度を築いてきたこの日本という国が本当に素晴らしいなぁと思いました。

 

お母さんは、一度も学校に行ったことがないため、もちろんスペイン語は話せません。ロサがずっとツトゥヒル語で通訳してくれていました。

彼女たちがどうやって生計を立てているのか、
ここまでどうやって生きてきたのか、
今後どんな人生を望んでいるのか、

など、いろいろと質問させてもらいました。

 

とりあえず、本人には勉強したいという意思がしっかりとあるので、まずは4か月間の英語のプログラムに入ってもらおうと思います。そこで、彼女のことをもっとよく知って、その後の支援をしていくかを考えていきたいと思います。

そういえばなのですが、ツトゥヒル語の勉強は口だけになってしまい(あんなに意気込んでいたのに!!お恥ずかしい…。)、結局お母さんと直接コミュニケーション取れないのがもどかしい…。

やっぱり今度こそ、勉強やるかな。

 

 

あとは、話が変わりますがこの訪問の数時間後、ロサのいとこがコロナで亡くなったとのことでした。だいたい私と同じ年の人なので、なんだか本当に他人ごとではないなぁと思います。ほかにも結構身近な人が亡くなっているケースを耳にするので、私も慎重に行動せねばいけないなぁと改めて身を引き締める思いがしています。