昔は、「先生のおかげで…」
という言葉がうれしかった。
どんなに辛くても、最後に自分のしてきたことは、きっと意味があって、子どもたちのためになったんだ、無駄ではなかったんだ。と
自分の労苦の答え合わせができるような気がして、うれしかった。
でも、ある時別の先生から言われました。
「僕たち教師は、結局子どもに対して何もしてやれていないのだ。」
と。
でも、実際自分のかかわり方で、子どもたちは良くも悪くもなるではないか。
それなら、自分のがんばり次第で子どもも変えていけるはずでは?
当時の私は、そう思いました。
その先生が言うには、確かに子どもどもたちは、変わる。
でも、それは子どもたち自身に変わりたいという意思があり、行動したからだ。
実際問題、同じ言葉を聞いても全員が変わるわけではない。
だから、変わった事実があったとしたら、それはその子自身の力なのだ。と。
すぐには、理解ができませんでしたが、その言葉はずっと自分の中に残っていて、時とともに本当にそうだなと思うようになりました。
そして、その事実に子ども自身が気づくことが大切で、先生がいたから変われたのではなく、もともと変化する力、成長する力が自分の中にあるのだということに本人が気づけば、目の前の教師がいなくなってからも、その子は自立しその先の環境でも、折れずにやっていけるだろう。
一方、自分が変われたのは、先生がいたからだと信じさせてしまったら、先生がいなくなったら変われない自分と思い込んでしまう。
でも、それは真実ではない。
人が変わるのは、その人自身の力ではなければ、変わらないのだ。
それは、大人も子どもも同じ。
だから、「~さんのおかげで…」なんていうのは、思い込みであって、自分で変わったという事実、その力が自分の中にあるということに気づいてもらわなければならない。
このことをうまく表現してくれている本がベストセラー本『嫌われる勇気』である。
結局、教師の評価などまるで価値がない。
子どもは、教師のためでもなく、親のためでもなく、自分の生命を輝かせるために、自分自身で判断し、行動しなければ本当の人としての成長はないのだ。
だから、私は「先生のおかげで…。」なんて子どもに言わせてしまったら、教師失格だと思っている。
教師の役割は、目の前の子どもの未来を信じ抜き、一人一人の中にその答えがあるということを本人に気づかせることなのだから。