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私がまいた種とは…

最近、活動に関しては、先が見えません。

 

というのも、ここまでやってきたプロジェクトすべて、一部の反対意見のおかげで、全部消える可能性が浮上しているから。

 

もしかして、もしかすると、本当にすべてが消える可能性も。

 

でも、もし、それがここで生きるグアテマラ人の判断ならば、私はそれを受け入れるしかになぁと思っています。

 

そんな感じで、先が見えないままなので、活動にもあまり身が入らない日々を送っていました。

 

「私が、いままでやってきたこと、一体何だったんだろうな~。」

 

「結局、すべて振り出しにもどっていくのかなぁ・・・。」

 

などと、ちょっと弱気な気持ちでした。

 

 

 

でも、でも、

 

今日、感じた2つのことがあります。

 

 

一つ目、

 

カウンターパートから発する言葉が、私も信じられないくらい変わっている。

 

私が、どうも最近元気がないのが伝わったのか、今日、彼が私を必死で励ましてくれた。

 

「今後、どうなっていくかわからない。研修会などやればやるほど、批判の声。もしかして、サキがここを去ったら、すべて消えていく可能性もある。でも、批判があるってことは、ぼくたち確実に何かをやっているってことだよね。だって、もしなにも行動していなかったら、批判だって受けなかった。でも、僕たちは、ここの教育をよくしようと、行動した。だからこそ、批判だってうまれたんだ。だから、いいんだよ。僕たちは、いい調子さ。今やれることにフォーカスしてやっていこう。」

 

この言葉が、本当に自分のカウンターパートから発せられているということが信じられなかった。

 

こんなにポジティブな彼の言葉は、聞いたことがない。

 

むしろ、いつもいつも彼から発する言葉は、本当にネガティブで、いつも前向いてがんばろうと思っている私の気持ちを下げてくる存在だった。

 

そんな態度に、なんど嫌気がさしたことが。

 

でも今、そんなカウンターパートが、こんなに素敵な言葉で私を励ましてくれる。

 

「僕は、本当にたくさんのことをサキから学んだよ。サキはいつもすばらしいアイディアを提案してくれた。いつも責任感をもって働いてくれた。一部の人は、その頑張りに感謝することなく、批判しかしいけれど、それでもほかの一部の先生たちは、サキにとっても感謝しているよ。サキと一緒に働ける時間が、あと少しだと考えると、寂しいよ。」

 

 

私の活動から目に見える結果が得られたわけではない。

たった2年間で、劇的に教育を変えることは、非常に難しいこと。

でも、最近少しわからなくなっていました。

 

 

自分の活動は、この市にとって何か意味があったのか?

 

 

と。

 

でも、今日のカウンターパートを見て、

 

彼の言葉を聞いて、

 

彼の内側の変化だけも私にとっては、奇跡のようなもので、それだけで、私がここに生きた時間には私だけでなく、ここの人にとっても、何かにはなったかもしれないと思えました。

 

 

私が感じるこの市での一番の変化は、私のカウンターパートの仕事へ向かう姿勢である。

 

 

 

二つ目。

 

道端で去年のパイロット校の校長先生に久しぶりに会いました。

 

彼は、今年から始まったSINAEという教育システムの中の、技術顧問?っていうのかな?

そういう学校を巡回する役職に昇格し、隣町で学校巡回をしています。

 

その彼と久しぶりに会って、新しい仕事はどんな感じかと尋ねました。

 

「去年、サキから学んだことがとても役に立っているよ!去年教えてもらった、ARMEとか、四則計算の資料とか、今見ている市でもやってみたいから、ぜひ資料送ってくれ!」

 

と。

 

彼のパイロット校で働いていた時は、いろいろと苦しいこともたくさんあったのですが、最終的に彼が私の活動に対して、なにかを見出してくれていたことがわかりうれしく思いましたし、現在何校も巡回する立場になった彼が、私の活動からいいものを厳選して、いろんな人に伝えていってくれたら、また未来への新たな扉が開かれる気がしました。

 

わたしは、その扉の先は見られないだろうけれど、それでも、私と過ごした人の中に、何かが残っていることはうれしく思いました。

 

 

 

私が、まいた種。

 

そんなものは、そもそもあったのか、わからなかったけれど、

とりあえず、2つぶはあったと、

 

信じてもいいよね?

 


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