思い出話

ふと思い出したあの日のこと

今日、なぜかふと数年前のある日のことを思い出した。

 
 
 
あれは確か、協力隊に応募する前のころ。
 
教員として、自分の在り方に疑問を持ちつつも、立ち止まる時間も心の余裕もなく、毎日もがいていた時だったと思う。
 
 
 
教員をやるようになってから、人付き合いが乏しくなった。
 
まず、休みがない。
人に会う時間がない。
 
やっと手に入れた休みの時間は、もう外に出たくなく、家でとにかく休みたい。
 
そうしているうちに、教員以外の人に会うことが急激に減っていった。
 
 
で、その日はものすごく久しぶりに大学時代の友達と名古屋でご飯を食べることに。
 
 
疲れきった心で、電車にゆられて、名古屋へ。
 
 
そこには、久しぶりに会う4人の友達がいた。
 
ひとりの子が、とても楽しそうに自分の仕事のことを話す。
プライベートも楽しそうだ。
 
それを聞いて、ほかの3人もワイワイ盛り上がっている。
 
 
私は…
 
 
テーブルでひとり笑うことができなかった。
 
ただ、無表情でその場に存在するのがやっとだった。
 
 
自分の外の世界には、こんなに人生を楽しんで生きている人がいるなんてことが、受けとめられなくて…
 
 
 
私は、
 
 
毎日が辛くって、
 
 
出口が見えないままもがいていて、
 
 
その子の笑顔やエネルギーがまぶしすぎて、胸にグサグサ刺さった。
 
 
 
 
あまりにその場が辛すぎて、黙って店を出た。
 
 
(私は、一体、なんなんだろう…)
 
 
苦しいのに、辛いのに、もう私の心は鈍くなりすぎて、何かを心で感じることさえできず、涙はでなかった。
 
 
ただ、ただ、自分のいる世界が、とても暗く感じた。
 
 
 
 
そんな風に、ひとり孤独に都会の夜風にあたっていたあの時の自分を、なぜか今日思い出した。
 
 
 
 
 
 
ふと考える。
 
 
今の私がもう一度、あの現場に戻ったとしたら、どのような働き方をするんだろう?
 
 
あの時とは、大きく変わった自分がいる。
 
でも、日本の社会に戻ったら、結局ああいう働き方しかできないのかな。
 
ここグアテマラにいると、日本の社会が求めてくる基準がものすごく高いことを感じる。
 
その社会のプレッシャーに応えようと、結局またあの立ち止まることのできない、息がつまる生活の中でさまよう自分になっちゃうんじゃないかと思ったり。
 
 
日本は好きだ。
 
けれど、日本の社会の在り方に、学校現場に在り方に、疑問がいっぱいある。
 
 
その疑問と真っ向勝負できる自分になって、日本という国がもっと美しい国になっていくための、道具になれたらなぁ。
 
 
 
 
 
帰国した後の進路は決まっていない。
 
というか、あえて決めていない。
 
やりたいことは、無限にあるのだけれどね。
 
 
自分が帰国後どう生きていくかは、日本に着いたとき、その時の私の心に決めさせたい。
 
だから、帰国後は柔軟性200%!
なんでもできてしまう気がする。
 
ここを去る日がくるのはさみしいけれど、やっぱり帰国は楽しみだな。
 
 
 
 
 
他人の笑顔や幸せが、苦しかったあの頃。
 
 
もう人と比べなくても大丈夫になった、今の自分がいることが、今日私が感謝したいこと。
 
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いま、グアテマラでは紫色の花をつけるジャカランダの木がたくさん見られますよ。

 
 
 
 
 
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