思い出話

小学時代の心の違和感

20代最後の宿題、それはこれまで歩んできた30年間をもう一度見つめなおし、自分という人間を再発見すること。

 

自分をもっと深く知ること、これが30代からの人生をきっとより輝かせる。

 

そういうわけで、自分の人生を振り返り、言葉にしていこうと決め、プログには書けていませんが、ふとした時に最近はよく過去の自分を会話をしています。

 

今日は、私をあまり知らない人が読むと、「なんだこいつ?調子にのんなよ?」と思う内容になるかもしれません。笑

 

でも、これは自分を再発見する旅なので、他人にどう思われようと、自分が感じてきた思いを素直に書いてみたいと思います。

 

 

 

今日は、小学校のお話。

 

小学校時代、私は何事にも積極的だった。

授業でもよく発言し、通知表はほぼオール5。

体育のどんな種目もたいていトップだったし、図工の作品はよく賞に選ばれた。

毎年学級委員をやらせてもらっていた。

 

そう、なんでも人並み以上に簡単にできてしまった。

 

でも、5年生あたりで、なにか心に引っかかる感覚が芽生え始めた。

 

「わたしって、なんでもうまくいきすぎていないか?」

 

学級委員をクラスで決めるとき、自分とほかの候補者がいた場合、クラスで投票をすると、私は必ず当選した。

自分自身も投票前から、

(たぶん、自分が選ばれるんだろうなぁ。)

と結果がいつもわかっていた。

そして、実際にそうならなかったことはなかった。

 

だんだん、わたしは自分がなんだか完璧人間になりかけているのではないか?と思うようになった。

 

自分にだって、欠点はたくさんあるはず。

実際に、自分は自分があまり好きではなかった。

それなのに、他人の自分に対するイメージがとても高くなっているように思えて、その像に本当の自分が負けそうになっているような気がしてきた。

 

 

あるとき、児童会に立候補した。

実は、そんなにもなりたかったわけではないのだけれど、まわりに推されたのか、雰囲気でやったのか、とにかく立候補した。候補者はたしか3人くらいいた気がする。

 

(どうせ、また私が当選するのかな・・・。)

 

と、そんなふうに冷めた気持ちで先が読めてしまう自分がなんだかむなしかった。

 

 

しかし、

 

結果は落選。

 

 

これまで、学級委員の投票や何かのオーディションなどで落ちたことがなかった私の人生初の落選。

 

 

 

このとき、私の心に浮かんだ感情は、「安堵感」だった。

 

(私にも、ちゃんとダメなところあったんだ!完璧人間じゃなかったんだ!これからは、完璧イメージの私を脱ぐことができる!私だって、ダメなところがあってもいいんだ!)

 

と、ずっと息継ぎできなかった世界に空気は入ってきた気がした。

 

 

そこからは、できない自分がかっこいい気がした。

もうリーダーとかやるのもめんどうくさくなり、みんなを引っ張っていくような目立つ存在にはあまりならないようにと自分にセーブをかけ始めた。

 

そして、一般ピーポーであることがどれだけ楽かも知り、次第にリーダー役は避けていくようになっていった。

 

実際に、中学に上がると一度も学級委員に立候補しなかった。

すごく楽だなぁと感じる一方、少し自分を偽っているようにも感じていた。

 

 

つづく・・・。