心と会話

内省

この1ヶ月半、おそらく表面上はやり遂げたことが沢山ある。

大きく前進もした。

高かった航空券も報われた。

ただ、どうしても反省せねばならぬことがあり、自分の至らなさ、自制力のなさを痛感している。

それは何かというと、私の中の「精神」と「言葉」に磨きをかけられなかったことだ。

私は10代の頃から書き続けている日記がある。

実は、滞在期間中、私はその日記が全く書けなかった。

書く気にならなかった。

言ってしまえば、書くことがめんどくさくなった。

こんなに毎日濃い日々を過ごしたのに、私はそれを書き留めなかった。

だからブログもろくに書けなかった。

自分の怠惰に負けた。

なぜ書けないのか?

それは自分から言葉が湧いてこないからだ。

なぜ言葉が湧き上がらなかったのか。

読書をしなかったからだ。

美しい言葉を体内に入れなかったからだ。

自分の中にある言葉だけで、この摩訶不思議な世界を表現できるはずないのだ。

だから言葉がいる。

自分の中にはない世界観、アート、哲学が必要なのだ。

先人たちが残した無限の世界への扉を自ら開かなかった。

私は、この1ヶ月半、自分の内面を磨くことを怠ってしまった。

多分そのことで誰も私を責めることはないだろう。

でも、自分はわかっている。

この1ヶ月半は、私は表面上だけの前進しかなかった。本当に大切な内面の部分での前進はできなかった。

怠惰に負けて、そうなった。

そういう時は、いろいろと忘れている時だと思う。

他人から与えられた恩、

有限である命の時間、

私の使命、

私は堅いことを考えるタイプだ。

人はもっと気楽にやれと言ってくれるが、自分は侍のように生きたい。

そう願っているのが自分自身なので、自分の生き様もその願望にそって選択せねばならぬ。

もう一度、私は自分がどうやってこの地を去りたいのか、何を残したいのか、そこをしっかりと頭に描き、今日の選択をしていかねばいけない。

 

 

結局、何をするかはそこまで大きな問題ではない。

その行動に何を込めるかが、後世に魂が宿るかどうかなのだから。