闘病記録

入院先の出来事

とりあえず、無事に手術は予定通り終わりました。

かといって、これで解決ということでもないので、地道に発声トレーニングをしたり、声を使いすぎないようにしたりなど、これからも気を付けないといけないなぁと思います。

去年は特に喉の状態がひどくて、会話をするのさえしんどかった。
病院でもう治らないといわれて、受け止めきれなかった去年の暮れ。

その時に比べたら、だいぶ喉の状態も回復したし、心も前向きになってきた。
何とかなるでしょうという気になってきた。

この先の私は…今日、大きな病院で自分の喉を診てもらった。 地元の病院では、「おそらく治らないでしょう。」と言われ、そうなのかと思いつつ、100%...

 

私の入院は今日で3日目なのですが、実はこの3日のうちに想定していたなったことが起こりました。

1つは、病院で友人にたまたま会えたこと。
その方は、数週間前にものすごく大きなけがをして、現在片目が見えない状態に。

私は、そのことをFBで知ったのですが、なんと声をかけていいかわからず、その時はただただ一人で祈りつつ、心配に思っていました。

私が入院していることをSNSに書いたことで、同じ病院だと気付いた彼からメッセージを送ってくれて、ちょっとだけ会うことができました。

私には想像できないほど、大きく辛い事実を受け止めなければならず、その心中は計り知れません。でも対面で会うことができ、直接祈りを交わせたことはありがたい恵みでした。

人生、いつ何が起こるかわからないって本当ですね。
何も当たり前ではない。
この目も、この手も、この足も。

この体の機能が一つ一つ動くからこそ、今やれることが無限にあるわけで、
そもそもこの命にも最後は終わりが来るのだから、分かってはいるけれど、やっぱり何度も毎日あるこの奇跡に感謝する心を忘れていたくないと思いました。

それと同時に、何が起きたとしても、私もそれを受け入れる心の器がある人になりたいと思いました。だって、人生辛いことは避けられないし、誰にだっていろんな形で苦しい時期はありますもんね。今も、受け入れがたいことや、なんでなんだろう?と反抗したくなる事実はいろいろある。でも、人生に嘆いてばかりはカッコ悪い。今あるものを大切に、真心こめて生きていきたいと思います。

 

もう一つ驚いたことがさっきありまして…。

病棟を歩いていたら、突然

「さきちゃん?」

と声をかけられた。

「わたし、〇〇だよ!」

と言ったのは、元同僚の養教の先生!

何年ぶりだろう??

新任の私をかわいがってくれた先生だ。
しんどそうな顔をしている私に、コンビニの「アサイー」ジュースをプレゼントしてくれた思い出は今もわすれられない。

その先生は、点滴をもち、首元に大きな手術の跡がある状態でにこっと私に笑いかけてくれた。

どうやら数日前にかなりの大手術をされたようでした。

腫瘍が発覚したのも最近らしく、ここ数カ月本当に大変な日々を過ごされたのだと思います。

私は、たくさんおしゃべりしたかったけれど、現在は声を出すなとのことなので、あまり思うように話をすることはできなかったのですが、久しぶりに懐かしい方にお会いでき、うれしくなりました。

(それにしてもすごい偶然!病院めちゃくちゃでかいのに、同じ病棟。ほとんど部屋にいるだけだけど、たまたまお互い廊下を歩いていたのも偶然すぎる)

 

みんなそれぞれにいろいろな人生の課題を神様から与えられているのだなぁと思いました。

誰一人として同じ人生はない。

前例を参考にしたり、友人の助言をきいたりと、人から学べることはたくさんあることは間違いないけれど、最後は人間、自分の人生と向き合うのは自分しかいない。

その答えは、だれも持っていないし、自分にしか出せない。

 

私のこれからの人生、正直、保証できることが一つもなく、不安です。

不安だからこそ、信じる心を強く持っていきたい。

疑う者ではなく、信じる者に。

今日は窓から見える夕日が、美しかった。