闘病記録

療養記録

2月29日
学校で体が動かなくなり、早退。
救急車を呼んだ方がいいと言われたが、ストレスが原因だと自分の中では明らかだったので、家に帰ることを望んだ。ただ休みたかった。休めば治るものだと思った。
父の車で家に運ばれる。
少しずつ体が動くようになってきて、父がつくったラーメンをぺろりと食べる。(食欲はあった)
ぼ~っとする。

夕方、だいぶ体が思い通りに動くようになってきた。
まずは、この事態を関係者に伝えなければと思い、電話をしてみるが…。
私の声は、ふるえてしまって、うまく話ができなかった。
物事を順序だてて話すことができない。
うまく声が出てこない。
その声で、皆ただ事ではないとわかったようだった。

すごく、孤独だった。
もともと孤独で死にそうだったのに、動けない体になり、人と会話ができなくなり、もう希望が見えなくなった。

この先、どうなるんだろう。
どう生きていくんだろう。

3月1日(金)
お休みをいただく。
できる限り、ぼ~っとするように努めるが、めったにない平日休みを有効に使いたいと思い、ずっと行きたくてもいけなかった郵便局だけは行こうと思っていた。
送り先住所を印刷し、梱包し、あとは、寄付していただいた切手で送るだけ。
まだ自力で運転する自信がなかったため、父に送ってもらう。
ここまでは順調だった。いつも通りだった。

いつも行く郵便局の受付のおじさんは、なかなか個性的で声が大きい人だ。
普段だったら私はそのおじさんとのやりとりを楽しんでいた。
でも、この日は、その大きな声と早口で説明された内容が頭に入らなくって、また思考停止になった。

切手の計算ができなかった。
こんなことさえできないのか…。
と自分が情けなくなり、また体が動かなくなっていった。

あの発作は、一回限りのものだと信じたかったのに、残念ながら頭への情報量が多すぎると再発することが分かった。悲しかった。

3月2日(土)
日に日に体がスムーズに動かせるようになってきている。
確かに、回復している。

でも、リセの予定調整のためにある人と電話で話していた時に、AかBかどちらがいいかという判断をする場面で、また思考が停止した。
どうやら、今の私の脳みそは、物事の判断ができないらしい。
2つものを比べて、どちらがいいだろうかと分析する力がなくなってしまったらしい。
こんなんじゃ、仕事できないなと悟った。

この日、医者へ行き、私の一か月の休職がほぼ決まった。
私の任期は3月末なので、このまま退職となる。

3月4日(月)
1か月の療養を要するという内容の診断書を学校へもっていく。
この日は、体も普通に動いたし、私も自宅でやれる成績処理などがあるため、自分自身が学校へ行くことを希望した。

自分の頭では大丈夫だと思っていても、心は違うらしい。
学校についたところで、少し体が重くなってきた。
職員室に入って、皆さんに挨拶しているうちに、少し体の動きが鈍くなる感覚があった。
ただ、ちゃんと意志通りには体が動いたし、最低限の事務作業もこなせた。
私が抜けることで、いろんな人へ負担がかかるというのに、どの先生もとても優しく、温かい言葉をかけてくださった。
自分の任務を全うできずに、すみません。と情けない気持ちになった。
まだ何も知らない子どもたちや保護者の皆様にも、申し訳ない気持ちになった。
ただ、今の自分にはこれ以上はできないことが明らかだったので、あきらめもついた。

3月5日(火)
今日は、たくさん泣いて瞼が痛い。
何に泣いているのか、もうわからなくなってきた。
希望の見つけ方って、どうやるんだっけ?
時間があると、深い孤独の沼にハマっていくので注意。

ショッピングモールへ行く。
洋服を見ても、自分は何が好きかわからず、楽しくない。
そんな中でも、数点、服を買った。
自分のためのお買い物は、すごく久しぶりだ。
桜が咲くころには、笑顔でこの服を着いたいな。

3月6日(水)
今日は、昨夜睡眠薬を飲んだこともあり、12時間寝た。
夢で、学校に復帰する夢を見た。
また、普通に元気に授業をしていた。
が、そのすぐ後に、ばたっと子どもたちの目の前で倒れてしまった。
こりゃぁ、だめだ~~。そんな風に、夢は幕を閉じた。

3月7日(木)
ヨーグルトスフレとやらをつくってみた。
イメージ通りにはならなかったが、なにかを自分でつくるのは、おもしろい。
岩盤浴へいく。頭が空っぽになっていい感じ。だいぶ体は回復してきた。
ようやく感情が戻ってきた感じがする。

3月8日(金)
グアテマラの布でスカートをつくってみる。
やりだすとストップが効かない私。
数時間で一着完成。
秋色なので、今年の秋にはこれを来て出かけてみたい。
夜、久しぶりに会う友人と夕飯。心が励まされ、少し希望を持てるようになった。

3月9日(土)
心がだいぶ軽くなってきた。
午後はグアテマラの布でポーチをつくる。
ただ、縫製の順序がわからなくなり、頭が痛くなる…。
手芸の最中は、社会心理学者の加藤諦三氏の講義をYoutubeで聞く。
彼の書籍や講義からは、いろいろな学びがあり、自分自身を見つめなおすきっかけになっている。

3月10日(日)
夜、あるきっかけから負の感情が爆発し、布団の中で泣きまくる。
生きているのが、しんどい。
このまま消えたいと思ってしまった。

3月11日(月)
今週から家族分の夕飯の準備をすることにした。
メニューを考え、買い物に行き、料理をする。なかなかおいしくできた。
普通のことではあるが、ささいな生活の営みから、「生きている」ということを感じる。
日々、なすべき仕事が与えられていることは、人として幸せなことなのだろう。

ミシンでハギレ布を合わせる。
どのように組み合わせたらよいかなど考えるのは結構楽しい。
上手に何か作れたら、誰かにプレゼントしたい。
こうして休ませてもらっている時間も、誰かのために使っていると思うと、幸福感がある。

3月13日(水)
成績処理のために学校へ行く。
自分のクラスの子どもたちが運動場で体育をやっていた。
かけ寄って、子どもたちを抱きしめたい気持ちを抑えて、こっそりと職員室へ入った。
心も体もだいぶ回復している自覚はあるが、はやり学校へ行くと少しだけ体の動きが鈍くなる。同僚の先生方には、私のせいでいろいろな負担がかかっているのだろうなぁと思うと、申し訳ない気持ちが湧いてくる。

今日も夕飯づくり。
家族のために、自分の時間を使って、喜んでもらえる何かをつくることは、幸せなことだと感じた。いつか旦那さんや子供ができたら、こうした日々の家事も愛をもって行える人でありたいと思う。
自分の中で未来に対して少しずつ希望を持ち始めていることを感じた。

3月15日(金)
2週間ぶりに病院へ行く。
自分としては、かなり回復してきたからもう通院は必要ないと思っていたが、診察を機にまた気分が下がってきた(担当医の先生とのやりとりで毎回嫌な気持ちになる)。
そこから、午後はもう心がしぼんでしまって、ベッドで横になっていた。
また、過去のこと考えている。過去にとらわれている自分が嫌いだ。

3月17日(日)
夜に、副代表のアルマンドさんと電話。
彼には、なんでも話せてしまう。
自分の心の弱いところを、さらけだして、本音を言える。
(グアテマラ人の心の器は柔らかく、大きいのだ。)
強くありたいのに、未来が怖い。
体は回復したが、気持ちが前みたいに沸き上がってこない。
アルマンドさんと語り合った夢の数々、まだ叶えられていないのにな。
今の私は、もう自分ができると、思えなくなってしまった。
体に異変があったあの日から、心も弱まってしまったようだ。
アルマンドさんには、もっと自分の可能性や価値を信じてと励ましてもらい、ただ涙した。
今年中に、グアテマラで私のために彼氏を見つけると誓ってくれた。笑
未来は明るいと、もう一度信じてみたい。

3月19日(火)
今日は、ダメな日だった。
もう心が壊れてしまったようだった。
心の中にある負の感情が、どんどん集まって表に出てくる。
いっその事、すべて出し切って、新しい自分になりたい。
家族には迷惑をかけたが、見捨てずに寄り添ってくれて、少し楽になった。
恩返ししていくべき歳なのに、まだ甘えている自分は情けないとは思うけども、今だけは許してほしい。

3月21日(木)
明日、学校へ行く。
最後に子どもたちに挨拶だけさせてほしいとお願いして、許可をいただいたのだ。
だから今日はできるだけ心と体のリズムを整えようと意識した。

今日気づいたのだけれども、私は今回この年度をやりきれなかったことで自信をなくしているようだ。
これまで担任を途中で投げ出したことは一度もなかった。
辛くても、最後までやり切ってきた。
でも、今年度はできなかった。
あきらめはついていたはずだったけれども、冷静になってきたら、今度は自信喪失になっている自分に気が付いた。
今、何か任されることが怖い。
責任を持つことが怖い。
またこんな風になっちゃったら、また周りに迷惑かけてしまう。
だから、最初から何もやらないほうが安全なんだと。
なんか、すごいカッコ悪い自分になってしまった。

3月22日(金)
今日は、小学校の修了式。
久しぶりに、ピシッとした服を来て、学校へ。

どきどきした。
そして、少し不安だった。

学活の時間に私から通知表を渡させてもらうことになっており、みんながいる教室のドアをそ~っと開けてみると…。
そこには、いつもの笑顔がありました。

みんなのうれしそうな顔を見た瞬間に、涙がどっとあふれてしまいました。

最後に、またここへ帰ってこられた。
やり切れはしなかったけれども、最後に子どもたちに会えてうれしかった。

ひとりひとりのいいところを伝えながら、通知表を渡しました。

手がかかっていたある子は、

「さき先生、大好き!」

とニコ~っとしながら言ってくれて、抱きしめずにはいられませんでした。

保護者の方が他のご家庭にも呼びかけて用意してくれたというお手紙アルバムを受けとりました。本当に手が込んでいて、愛情をたくさん感じました。

保護者の方の中には、文面で感謝と激励のお言葉をくださる方もいて、本当に心がじんわりと温まりました。

こんな情けない最後を迎えてしまったというのに、それでもこうして温かい言葉をかけてくれる子どもや保護者の方々に私の心は本当に励まされました。

昨日は、とにかく自信喪失している自分しか見えませんでしたが、今日もう一度教壇に立たせていただく機会をいただき、傷ついた私の心は少し癒された感じがしました。

体調面のことを考えると、しばらく学校での勤務は控えた方がいいと感じています。
でも、またいつか戻ってきたいな。
そんな風に最後の一日で思えたことは、私としてはとても大きい出来事でした。

また、前を向いて歩いていけそうな気がしてきました。

失った時間でしか得られなかったものは、確かにたくさんある。

いつかこの経験があってよかったと思える未来をつくっていきたいです。

これまではあまりに過去と未来で自分を縛る生き方をしてきました。
ここからは、「今」に焦点を当てて、今感じることにしっかりと耳をかたむけ、その時々にできることを、できる力で、真心込めてやっていきたいと思いました。

これからも心揺れる日々はやってくると思いますが、一旦この療養日記も今日で終わりにしようと思います。

完全復活できるまでは、ぼちぼち、ゆったりペースでやれることをやっていきたいです。

これからもよろしくお願いします。