発見

選択肢の多さ=幸せ?

短大時代の友達Eは、基本省エネで生きていて、ぼけ~っとしているようにみえるが、なんちゃってキャリアウーマン。

東京に行くときはたまに彼女に家に転がり込んで、一緒にくだらないこと言って過ごしているんだけども、そんな彼女の言葉が時に私の心に残ることがある。

彼女のことは、ずっと前にもブログに書いたことがあるのだが、彼女が私の心に残した名言はいろいろある。

金にモノを言わせるそんな言葉は、なんだか嫌な感じの人間が使う言葉だと思っていた。 だが、もう何年か前に友達に言われた言葉を聞いてから、お金に対する考...

 

数年前、彼女の家に泊まった時に、何気ない話の中でこんなことを彼女が言っていた。

「またに思うんだよね。日本人の幸福度が低いのって、選択肢が沢山あるからなんじゃないかって。」

と。

この言葉を聞いた時も、ある程度共感していたんだけども、今、グアテマラにいてこの言葉を改めて思い出して、そうかもしれないなぁと思っている。

 

グアテマラにいると、基本的にやれることが少ない。

車も乗れないし、
映画館とか遊園地とか遊ぶところもないし、
相手してくれる友達も限られているし、
レストランとかもあまりない。

そうなると、日常が非常にシンプルになる。

起床、
コーヒー、
ご飯、
活動、
昼食
昼寝、
活動、
夕飯、
ギター自主練、
読書、
就寝。

休日も、
起床、
コーヒー、
ご飯、
洗濯、
庭の手入れ、
昼食、
ロサとおしゃべり、
昼寝、
ギター練習、
ドラマちょい見、
夕飯、
読書、
就寝。

やれることが少なすぎて、ギター練習と読書するしかない。

でも逆にやれることが限られているし、会える人も限られているので、余計な「迷い」が生まれない。

これやったほうがいいのかな?あっちよりこっちのほうがよかったかな?という後悔とか、自責の念に駆られることもない。

小さなことでも「選ぶ」って、結構エネルギー使うと思うんです。

日本は何をするにも選択肢が多すぎて、私は一つ一つ選ぶことに、疲れているのかもしれない。

そして、自分の判断で選んだものが、他人が選んだものよりも残念な結果を生み出していたとしたら、この判断を責めたくなるんだろうな。

ここにいると、選択肢がそこまでないので、そういったこともいちいち考えることもない。

生活はシンプルだけど、その中に小さな喜びが沢山あるし、グアテマラ人はとにかくよく笑う。いちいち冗談言う。だから、私は日本にいるときよりも心が晴れ晴れとしている感じがするのだ。

そうやって自分自身が経験して思うのは、やっぱりEが言っていたことは、そうなのかもしれないなぁということ。

選択肢の多さは決して幸せではないんだと思う。

グアテマラ人の幸福度はどこからきているんだろう?と探るのが毎年の私の自由研究になっている気がします。