本日、2個目のイベントは、先日助成金の応募をした三菱UFJ国際財団とのオンライン面談です。
この助成金では、バネッサの日本招致によって、日本の教員志望の大学生と国際交流するプロジェクトで申請をしています。
このプロジェクトを申請するにあたって、愛知教育大学と岐阜聖徳学園大学の教授の方にも大きなお力をお借りしており、いろいろな人を巻き込んでプロジェクトを企画しました。
ただ、
ただ…。
私自身が、ここ最近ずっと心と体が疲弊していて、その姿を一番近くで見てくれていた団体スタッフののぞみさんが、
「現状維持だけでも、こんなに大変な思いしているのに、新たなプロジェクトを本当にやりきれるか?もっと心の負担が大きくなるのではないか?時期を見送って、今回は辞退することも考えていいと思う。」
と言ってくれていました。
莫大な時間をかけて、申請書をつくってくれたのぞみさんなのに、私の健康を第一に考えて、選考前に辞退することも提案してくれたこの助成金。
昨日の役員ミーティングでも、この助成金の応募について議題に上がりましたが、私はこんな状態で「やれます」と言い切ることもできないまま、面談当日を迎えてしまいました。
面談直前でも、私は100%やりきれる自信はなかった。
でも、バネッサを日本へ招致したいという思いは、ずっと前からあったし、タイミングは私の中では「今」だと思った。
そうして始まった先方との面談。
さっきまで、不安な気持ちがあったのに、面談がはじまりいろいろな受け答えをしているうちになぜか、このプロジェクトは絶対成功するという気持ちになって、言葉に力がこもってきました。
そうして受け答えしているうちに、先方のうちの1人の方が、
「近藤さんって、2021年に協力隊を育てる会の助成金に応募されていましたよね?私は、その時の審査員をしていたのですよ。」
とおっしゃいました。
私は、自分としては人生で初めて自分で申請書をつくって出したそのことを覚えてはいたものの、あまりに計画性がなく、申請書の書き方も支離滅裂になっていたと思うので、今となっては、恥ずかしくって正直自分の記憶からかなり薄くなっていたことでした。(当然、落ちました。)
「あの時のプロジェクトも僕はなかなか良いと思って、高い評価をした記憶があるのだけれども、各プロジェクトの相互性が取れていないようにも他の人の目には映ったようで、結果的に採択はされなかったのだと思います。今回の申請は、あの時の内容とのつながりもありつつ、進化系のようなものになっていますね。」
無駄だと思われた私の行動も、年月を経て、今ここに繋がっていることが分かり、なんだか不思議でしたし、私のそのチャレンジを覚えていてくださった人がいたことにうれしさを感じました。
「協力隊を終えた後、その後も活動を続けていこうとすることは、なかなかできることではないけれど、こうして今でも挑戦し続けていることは、素晴らしいと思います。」
というような、励ましのお言葉もたくさんいただき、ここ数か月間は、本当に弱音しか吐いていない私でしたが、第三者からもこの活動や私の奮闘を評価してくださる方がいることは、素直にうれしかったですし、励まされました。
いつも自分の進んでいる方向に、「これでいいのかな?」って自信を持てないことがほとんどですが、今日は、
これでいいんだって。
思えました。
助成金採択の結果は、5月に出るそうです。
バネッサ招致の予定は11月。
日本の大学生とのオンライン交流の開始は、6月頃。
それまでに、もう一度本来の自分を取り戻せるように、4月以降はエネルギーを充電して、5月の結果を待ちたいと思います。