右手が動かなくなった。
パソコンで文字を打ちすぎた。
今日は何通のメールやメッセージを返したんだろう。
それでもまだまだ送らなきゃいけない連絡がたくさんあって、最後は音声入力でメールを打つことになりました。
実はこのブログも今、音声入力でしゃべりながら入力しています。でも、最近の音声入力って性能が上がったようで、ほとんど間違えることなく正確に文字にしてくれます。
学習塾の方は、まだまだ決まっていないことも、見えていない未来もたくさんありますが、すばらしい仲間に巡り会えたので、この先きっと価値ある活動が現地の人の手によってできていくだろうな。
だから、もっとその姿を横で見ていたいなぁって思うし、自分もその中で力を尽くしたいなぁって思う。ただ自分にはもう時間がないから、中途半端に何かを始めたりしないほうがいいのかなぁと思っています。
今からは、現地の人たちで回していけられるように、自分がサポート役に徹していかなければなりません。ただ、これからもずっとここでこの景色を横で見ていたいのに、それが叶わないのはちょっぴり切なさもあったり…。
また、今週末から、中学生の子供たちの新たな英語プログラムが始まります。ボランティア先生として関わってくださる方が増えてきて、日に日に新たな出会いが生まれていくことに喜びを感じます。
ただ、少しずつ関係者が増えてきていることによって、私1人では、やり切れないことが出てきたと実感。
出会いは、一つ一つ本当に嬉しいもので、不思議なもので、誰との関係も味わっていたいなぁって思うのに、
自分の体って1つしかないんですね。
自分に与えられた時間も限られているんですね。
だから、関係者が増えていく事はすごく嬉しいことだけれど、自分1人がその全員とこれまでと同じように関わっていくことはできないんだなぁってことに気づいてしまいました。
やりたい事はたくさんあるのに、自分の力ではどうにもならない自分の有限性と言うものに向き合います。
でも、もし、自分の時間や体が無限なものだったとしたら、きっと今動く理由もなくなってしまう。
だから、やっぱり自分の体は1つでよかったんだろうなぁ。自分にできないことがたくさんあるからこそ、また人と繋がれる自分でいられる。助けてもらわないとやっていけないからこそ、自分の周りには優しい人がたくさん現れるのかもしれない。
今日もやれないことがたくさんあった。
多分やったこともたくさんあったのに、どうしても1日の最後はやれなかったことを思いおこしてしまう。
明日も自分の体は1つ。
与えられている時間は常に終わりに向かって少なくなっていく。
この自分が抱える有限性を愛し、今はどう生きていくかという問いに対して、日々誠実な態度で向き合いたいと思う。
本日は音声入力によるブログでした。
これだったらもう少し日々振り返りができるかもしれない。またやってみようっと。