今日は、初めての試み「スペイン語交流会」を予定していました。
これまで、グアテマラの子どもたちと日本とつなげる交流会はたくさんしてきました。
でも、今までスペイン語でつながる交流会というものはやってきませんでした。日本でもスペイン語に触れた経験のある方や興味がある方は一定数はいるので、いつかスペイン語で交流できる場をつくりたいなぁと思い、今日の企画が生まれたわけなのですが…。
朝起きるといろんな子供から
「停電になって、電気がない。今日はつながらないかも。」
と残りわずかな携帯の充電を使って連絡がきていました。
どうやら強風で村の電線が切れたとか。
普段オンラインで子どもたちと関わっているとなんら日本の子どもたちと変わらないと思ってしまうけれど、こういう予想外のことが起こると、やっぱりグアテマラだなー、と思い出させてくれます。
むしろ日本はこう言った予想外の出来事があまり起こらない。
だから計画とかしっかり立てられるんだと思うのだけど、グアテマラでは計画したところで一気にぶち壊されることが日常茶飯事なので、日本人ほど計画は立てない文化なのだと思います。
昔は、「途上国の人たちはなんて計画性のない人たちなんだ!」とイライラしていたけれど,今では別の角度からグアテマラを見る視野が自分の中に育ってきました。
グアテマラで生活した2年間で、いろいろと世界の見え方が変わったのですが、その過程の中で、私は
(もしかして、私たち日本人はものすごい勘違いをしているのではないか?)
と考えるようになりました。
電気がないことは、かわいそう。
電化製品がなくて、かわいそう。
貧しくて、かわいそう。
子どもが働くのは、かわいそう。
仕事がなくて、かわいそう。
あ~、日本に生まれてよかったな。
日本人でラッキーだったな。
日本人であることを感謝しよう。
そんなメッセージを私は、なんとなく学校の教育や世間から受け取って育ってきた気がします。
でも、私が見てきた2年間のグアテマラでの生活。
あれ?私はなにかものすごく大きな勘違いをして生きてきたのかもしれない。
そんな風に思いました。
確かに、貧困はある。
涙もあるし、苦しみもある。
でも、彼らの人生それだけではないのです。
日本にはない笑顔があった。
日本にはないたくましさがあった。
日本にはない希望、夢をもつ熱い心があった。
グアテマラの人たちは、思い通りにはいかない人生の中で、愛する人たちのために闘っている。その姿が、美しくて、私は心が洗われていくようでした。
グアテマラの人たちは、困難の中で闘うことを知っています。
他人と比べて「あいつだけずるい」なんて言わずに、与えられた運命、環境を受け入れ、その場で咲こうと一生懸命に生きている。
そこに人としてのたくましさを私は感じるのです。
日本はどうだろう。
なんの努力をしなくとも、最低限の生活が保障され、教育の機会が与えられ、人間は働かなくてもいいような機械が各家庭にはたくさんある。
もし一人一人が使命をもち、志をもち、それを支えるための恵まれた環境なら、よいのかもしれない。
でも、何のために生きるのか、何のために勉強するのか、その源泉をもたないまま、恵まれた環境だけ与えられてしまったら、人間は本当に意味で「生きる」ことはできるのだろうか。
私は、ふとそんなことを考え、日本という国が便利さの陰でなにかものすごく大事なものを失っているような気がしてならないのです。
人生には、困難がある。
困難があるからこそ、切り拓いた道に差し込む光は輝く。
花火は美しい。
それは、暗闇があるだからだ。
人間だって同じだろう。
困難がない人生で、人は周りを照らすほどの光を放つことはできない。
私たち日本人は、困難がない道が幸せだと勘違いしていないだろうか。
今回の停電で、もう一度グアテマラでは思い通りにいかないことばかりの国だということを思い出しました。
でも、それは悪いことだけではない。
この困難があるからこそ、子どもたちのハングリー精神、前のめりの学習姿勢が磨かれるのだろう。
スペイン語交流会は、また再調整します。
きっとその時は、今日よりもつながる喜び、伝わる喜びがきっと倍になっているでしょう。