思い出話

BK時代、くやしいベンチ

私も、いつかあんなバスケットができるようになりたい!

中3の時にみた、あの試合に恋してから、そんな野望を胸に、自分のレベルには合わない高校バスケ部へ入部。

それまで私は、何をやるにしても大抵は人並み以上にできることが多かった。

しかし、ここでは私は体も小さく、技術もなく、一番下手くそだった。

届かないロングパス。

キャッチミスの連続。

役に立たないディフェンス。

決まらないシュート。

鈍い判断力。

続かない脚力。

どれをとっても、自分はまわりにかなわなかった。

「人よりできない」 が人生ではじめて日常になった。

期待を胸に入部したが、練習はいつも心臓が爆発してしまうのではないかというほど、毎日本当にきつかった。

肉体的しんどさだけでなく、決まったフォーメーションを覚えていないと、先輩から怒られる、顧問からコートの外に出されるなど、精神的プレッシャーも重ねてしんどかった。

入部3ヶ月ごろには、なんでこんなところに来てしまったのだろう。

普通の高校生活でよかったのかも。 と自分の進路選択に後悔しそうになっていた。

ただ、自分で選んだ道、逃げることはできないという思いで、とりあえず日々を生き抜く。(なんども逃げたいと考えたけど…)

しかし、人よりできないんだから、人以上になにかしなければ。

そういつも思っていた。

部では、自主筋トレメニューが課されてて、それを顧問に見せるために全体で一冊各個人が毎日何回筋トレしたかを記録するノートがあった。

ノルマは、腹筋1日1000回。

しかし、毎日1000回到達している人は、誰もいなかった。

憧れのキャプテンですら、できていなかった。

(これだ!!)

腹筋に才能はいらない。

必要なのは、根性!

これなら、技術ではかなわない他の選手と対等に戦えるではないか!

そうひらめいた。

この日から、私は絶対に毎日1000回腹筋すると決めた。

これで自分の思いを顧問に届けたい。自分の存在を顧問に訴えたい。

それが私のモチベーションだった。

そして、それから本当に引退まで、腹筋1000回は私の日課になった。

それに加え、コートには毎日一番乗り、コートを去るのも一番最後。

時間が許す限り、ひたすら自主練習。 そんな日々から、自分はチームの誰よりも努力しているという自信があった。

それなのに、試合のベンチで私の名前が呼ばれることはなかった。

Bチームの練習試合でも、私の名前が呼ばれるのは、最後の最後。

「今日こそは!」 といつ呼ばれてもいいようにと準備万端でベンチにいた時も、私の名前は呼ばれなかった。

それはそれは悔しくて悔しくて。

期待すればするほど、その期待がかなわなかった時の、ショックが大きくて、もう期待するのが嫌になってきた。

(はじめから、どうせ私は呼ばれない。そうあきらめていた方が楽だ。)

いつしか、そう思うようになった。

そんなことを、部活のノートに書いたことがあった。 すると、顧問が私を教官室によんでこういった。

「サラ(私のコートネーム)は、焦りすぎ。すぐ先のことではなく、1年先、2年先、引退する時、そのときに自分はどうなっていたいのか、それを思い描いてがんばりなさい。大切なのは、その思いを『思いつづける』ということ。そうすると、なりたい自分に近づいていける。」

この言葉でふっきれた。 今までちょっと努力すればなんでも手にいれられた自分。

でも、そうじゃない。

目標、なりたい姿はすぐに手に入れられないこともある。

でも、そのときどれだけ思いつづけられるか。

自分にとってそれが価値のあるものならば、人は思いつづけられる。

そう教えてもらい、すごくすっきりした。

また、顧問は私のことを

「努力していると勘違いするな」

と言った。 人よりできないことがあったとき、それをできるように努力するなんて、当たり前のことじゃないか。もはやそれは努力ではなく、当然の義務だと。

そうやって、ズバッと言ってくれるたことが私は嬉しかった。

自分の足りないところが明確になったから。

甘ったれていたのは自分なんだと。

なんて、低レベルな次元で、自分は練習していたんだろうかと。

人より下手な自分が、自分の方が努力していると自負して、ひがんでいたことがなんだか情けなく思った。

これからは、人は関係ない。

自分は自分のなりたい姿に近づくために、自分ができることをやるだけだ。

それからも私のベンチ時代は続いた。

3年生が引退し、8人で戦った新人戦。

県ベスト6になった大奮闘の試合でも、私は1人だけ試合に起用されなかった。

しかし、引き続き腹筋1000回、一番乗りのコート、一番最後のコート、そして昼休みの自主練…

本当にすべてがバスケット中心の生活だった。

こうして、15歳のから16歳の一年が過ぎていった。

15歳の私がバスケットを通して学んだこと。

それは、自分のなりたい姿をイメージし、そしてそれにどうしたら近づけるのかを考え、行動する、思いつづける、

ということ。

この「思いつづける」というのは、簡単そうで実は難しい。

でも、これがいつか大きな変化を生むということを学んだのも、この高校生活だった。

今思うと、我ながら本当によくやったなぁと思います。

しかし、その当時は、練習は苦しかったけれど、あれだけやれたのは「うまくなりたい。」という自分の欲求からきていたからだと思います。

やらずにはいられなかったのだと思います。 あの一年を今客観的に分析すると、人生ではじめて「できない自分、弱い自分」を認めなければいけない時間だったのだと思います。

それまでは、スポーツ面でいけば、なんでも一番二番をとってきた私。 しかし、そんなのも環境や一緒にいる人が変われば全く通用しなくなるのです。

つまりは、自分をどんな環境に置くかで自分のポジションなんて180度変わる。

そして、私の場合は、こうして背伸びして自分のレベル以上の場所に身を置くことで、自分というものが覚醒される人間なんだと思います。

結局どこかで負けず嫌いなところがあるので、何か自分ができない壁があるとなんとしてでも登ってやろうと、なりふり構わず、がむしゃらに行動するタイプのようです。

30代までのカウントダウンはどんどん進んでいます。

歳をとると、チャレンジすること、環境を変えることが億劫になっていくと聞いたことがあります。

でも、ここグアテマラには60代半ばで単身シニアボランティアとして私たちと同じように海外暮らしに挑戦する方もいらっしゃる。

そんな姿を見ると、私も死ぬまで挑戦し続ける人生をしたいなぁと思います。

そして、きたる30代。

私はもっともっと修行したいなぁと思います。

だから、自分が覚醒できる環境、自分の力が通用しない環境、そんな場所でもがきながら、自分が与えられている力にさらに磨きをかけていきたい。

そうしたらもっと自分にできることが増える。

自分にできることが増えたら、もっと誰かの役に立てる人になれる。

もっと誰かの役に立てたら、今よりもちょっぴり素敵な世界を実現するための道具に自分がなれる。

30代も、挑戦!

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腹筋バリバリ時代。