「2月29日、今日は4年に一度のうるう年だね!」
そんなことを自分のクラスの朝の会で笑顔で言っていた。
まさか、この日が私の担任生活最後の日になるなんて、その時はまったく予想していなかった。
この日の3時間目、図工の指導をしているときに、だんだんと思考が停止していった。
明らかにおかしいと、自分でも分かり、このまま子どもたちの前には立てないと思ったので、そのあとすぐの休み時間に主任の先生のもとへ、早退したいと言いに行った。
そうすると、そこから体が徐々に動かなくなっていき、自分の教室に戻るのもカメさんのスピードでしか歩けなかった。
子どもたちへ最後に自習の指示を出そうと、いつものようにチョークを握ったら…。
文字が書けなかった…。
頭で出す指示を体が聞いてくれないのだ。
悔しかった。
どうして、動かないのだ…。
子どもたちに、顔を向けられなかった。
私の目にあふれてきた悔し涙を見せたくなかったから。
駆けつけてくれた先生にあとはお願いして、私は教室を去った。
その日は、もう自力で歩けなかった。
自分で靴を履くこともできず、
上着を羽織ることもできず、
全て人にやってもらった。
目線を人に合わせることもできなかった。
いつもなら、「大丈夫です!」と笑うことができたが、
この日の私はなんの表情もなかった。
明らかに、だれが見ても大丈夫じゃなかった。
自業自得だと思った。
仕方ない結果だと思った。
担任業務、グアテマラの活動、リセの予定調整、将来への不安、
頭の中がもうずっと長いことぐちゃぐちゃだったのに、
「あとちょっと、あとちょっと」といって、この無理な状況を私ならやりきれると過信した。
人間の体というものは、よくできているらしい。
完全に体がぶっ壊れる前に、ストップかかるようにシステムされているのだろう。
皆に無理するなと言われ続けていたのに、手放せなかった私へ、物理的に体を動かさなくさせたのだから。
ここまでくると、あきらめるしかなかった。
この日から、私の療養生活が始まった。
あまり長くならないといいな。