出国1週間前、
ずっとずっと迷っていたことの答えを、出しました。
答えがはっきり出たのは、その朝、愛犬と会話をしていた時のことでした。
1か月ほど前、グアテマラ行きのチケットを買った直後に、地元の学校から半年間講師をやってくれないかと頼まれていました。11月から産休代替として。
意を決して、3月に退職したわけなんで、もちろんその場でお断りしました。
でも、話を聞くうちに、私に助けを求めてくれる身近な人の力になるのが、人としてやるべきことなのではないか、お世話になった先生方に恩を返すチャンスではないか、今しかできないことではないかという考えが沸き上がってきました。
実際に、その学校の教頭先生とお話し、詳しい労働環境について話を聞きました。
聞けば聞くほど「おいしい話」でした。
子供も落ち着いていていいし、
お金も安定して入るし、
職場の雰囲気もいいし、
校長先生も教頭先生も私のことをよく知っている人で、自由にやらせてくれそうでした。
ものすごく、ものすごく迷いました。
どっちを選んでも私は後悔しないと思ったし、
どっちの道も私の情熱を注げる場所でした。
でも、思い出した言葉があります。
確か、岡本太郎の本「毒を食え」とかいう本だったかな?
「迷った時は、危ない道を選べ。」
と。
講師の道は、あまりにも条件がよかった。
でも、よすぎるがあまりに私がこの道を選ぶとしたら、その基準は「自分にとって良いか」という狭い世界のお話になりそうだと感じました。
一方、寄り道せずにグアテマラ一本の道を選ぶのは、リスクも高いからこそ、もしそれを選ぶとしたら、それは自分の「志」の基準によって選んだと言えると思いました。
私は、自分のためだけにこの命を使う生き方はしないと、21歳の時に決めた瞬間がありました。
そうは思ったものの、実際にはそういう生き方をしないまま10年が過ぎました。
でも、昨年自分の内面で少し変化があって、やっぱり自分はこの命を自分以外の何かに向かって燃やし切りたいと改めて思うようになり、そうしたらやりたいことが沸々と出てきて、こんな感じになっています。
だから、私は講師の道はお断りしました。
多分、それだけ条件が良ければ、私ではなくてもやれる方が現れると思いますし、もし11月に帰って、半年は日本でまた先生をやってしまったらグアテマラでの活動に覚悟が定まらないと思ったので。
これだけ迷ったのです。
もう一つの道も、自分にとっては非常に価値のある道だったのです。
それを選ばなかったということの責任は、選んだ方の道で行動することで表していく。
この件で、より一層覚悟が決まりました。
人生には、本当に多くの選択がある。
Life is made up with choices.
一つ一つの選択が、自分を作っていく。
自分の選んだ道に、責任持って生きていく。
人生は、全てが自己責任。
もう誰のせいにもしない、
全て自分次第。
ある人が教えてくれたことです。
そんなことを犬と話していて、考えていたのでした。