サンティアゴアティトラン

グアテのいいね!

今日も、一日を無事終えられたことに感謝。

 

外に出るというのは、いいですね。

 

やっぱり、人と触れ合うことが、私は好きなのかな。

 

 

今日の授業観察でも、「おいおい…。」って思うこともたくさんありましたが、ここグアテマラには日本にはない良さもあるんですよ。

 

今日は、そこをちょっと紹介したいと思います。

 

①時間について

ここグアテマラと日本の大きな違いは、この時間に対する考え方でしょう。

たいていは、この時間の感覚の違いで、困ることが多いんですが、逆に都合のいいこともある。

 

例えば、今、一校一校授業観察をお願いしているのですが、なんせ時間割は一応あるものの、実際にはなんでもオッケーな時間割でまかり通っているんで、私がいつ行っても授業をしてくれる。(事前に校長先生に時間割作ってくれるようにお願いしておくのですが)

前の授業が延びて、ちょっと遅れても私を待っていてくれる。

だから、私も一日中みっちり授業が見られるのです。

 

ちなみに、1時間の授業時間もさまざま。

こっちの先生は、決まった時間内で終わらせる。って感覚はなくて、子どもがわかるまで、教科書が一ページ終わるまで、って感覚なので、45分で終わることはほとんどないかな。

30分以下だったり、1時間以上だったり、さまざま。

 

たいてい、この時間に日本人としてはふりまわされるんですが、この柔軟性ありまくるグアテマラタイムに助けられることもあるのです。

 

 

②こどもの呼び方

こっちの先生が、授業の中で子どもに声をかけるとき、よく耳にする言葉。

 

Mi hija (私の娘)

Mi hijo(私の息子)

Mi amor(私の愛)

 

先生たち、よく子どものことこうやって呼ぶんですよ。

私は、これがすごく好きなんです。

自分の子どものように、愛を注いでいる気がして。

 

 

③祈りでスタート

市の人口のほとんど(95%くらいじゃないかな?)はクリスチャンのサンティアゴ。

1時間目の授業にお邪魔したときによくお目にかかるのが、みんなでお祈りしてから一日をスタートする姿。

私は、この時間が好き。

ある学校では、あまった時間でみんなかばんから聖書を取り出して、購読し始めたクラスもあった。

先生方も、ちゃんと毎日聖書を読みなさいよとか、お祈りしなきゃダメよとか、信仰をはぐくむ声かけもしばしば。

日本では、禁止されていますから、なんか新鮮です。

 

 

④学校の時間が短い

グアテマラの小学校は、たいてい午前校か午後校のどちらかです。ほかの隊員に聞いてみると、他市では午前校しかないところもあるらしいのですが、ここサンティアゴでは午後校も7校あります。7:30~12:30と1:00〜6:00。その中に30分の読書の時間と、30分の休憩時間。つまり勉強時間は4時間。1時間の授業を40分にすれば6時間行える。

そう、学校にいる時間は断然短いのですが、そんなに日本と勉強時間は変わらないのです。

(実際には、30分、1時間遅れで学校にくるのも普通、休み時間が終わっても授業が始まらない、先生子どもたちほったらかしでどっかいくなど、数字上の学習時間はないんですが…。)

 

そういうわけで、グアテマラの子どもは日本と違って、半日は家で過ごしたり、遊んだり、(もちろん仕事をする子も多いんですが)学校以外の時間もたくさん。

当然先生の勤務時間も短いわけで、一日の勤務は5時間。

みなさん、この5時間をきっかり守ります。いや、むしろ5時間以内?

 

そう考えると、日本では学校で過ごす時間が本当に長いもんですね。

子どもの生活は、学校がすべてのようなもの。

もっと学校以外の場所で過ごす時間もあったらいいんじゃないかなぁと私は思っちゃうけれど。

先生もさ。

 

私は、この短縮時間割が好きですよ。

 

 

 

こんな感じで、毎日いろんな景色からいろんな感情、考えを抱きながら、過ごしています。

 

 

私は、この生活に、この街に救われています。

 

微力ながら、やりたいことはたくさん浮かんできている今日この頃。

この街のために、できることやっていこう。

 

 

 

 

話変わって、一つ悲しい話。

 

今日訪問した学校で、ある子どもが今日亡くなったという話を聞いた。

 

先生方もなんでかまだよくわかんないって言っていたけれど、昨日は道でもの売っていたというのだけど、今日になって亡くなったと。

 

もちろん先生たちも悲しいといっていたけれど、その子のクラスの子も、先生も普通な感じで授業が進んでいたので、日本人の「死」というものの受けとめ方とは少し違う気がした。

 

 

本当かどうかわからないけれどこの市で子どもが亡くなるのは珍しいことではないとある先生は言っていた。

 

そうなのかなぁ。

だとしたら、悲しいなぁ。

 

命って、たくましいようで、はかなくって、愛おしいもので、かけがえのないもの。

 

 

最近は、自分の命についてもたくさん考える。

 

変な言い方だけど、私はいつなにかで自分の命に突然終わりが来たとしても、

 

「咲は神様のために命を燃やして生きていた。感謝と愛にあふれて幸せに生きていた。」

 

と言ってもらえる生き方をしたいと思う。

 

お葬式では、みんな「あっぱれだった!」と笑ってくれたら最高だ。

 

 

もし、今日寝て、もう二度と目覚めることがないとしたら、なにか後悔することがあるかなぁ。

 

 

うーん、きっと心から愛する人たちに、100%の私の思いを伝えていないことかな。

私のこと大嫌いといった人に、私は大好きだよとちゃんと伝えられていないことかな。

 

あとは、おばあちゃんやお母さん、お父さんに孫を見せられなかったことかな。

 

 

できることなら、やっぱり日本に帰るまでは生かしてほしいなぁ。

でも、何が起こるかわかんないのが世の中の常。

絶対というのはどこのもない。

 

 

そんなわけで、明日も悔いのない1日を過ごしたいです。

 

では、今日もこの日をありがとうございました。

 

おやすみなさい☻

 

 

 

今日のハテナ。

どうして世界のどこでも貯金箱はブタなの?

 

{F4181736-863E-4C30-AE41-6C2BB6F1246E}