朝、ふと目が覚める時、私はネガティブな思考が芽生えることが多い。
なんて孤独なんだろう。
どうしてこんなに惨めなんだろう。
なぜ願いは叶わないのだろう。
と、自分の人生を恨むような考えをする。
そんな自分がなんだか情けなくって、最近は起きたらこの言葉を心で唱える。
“Lord, make me an instrument of your peace.”
「主よ、私をあなたの平和の道具にしてください。」
大学生の時に、この「聖フランシスの平和の祈り」に出会った。英語部に所属していて、その時に覚えたものだ。
この祈りには続きがあるのだけれど、私はこの最初の一文が好きだ。
私の命をこの世の平和のための使いたい。
心からそう思うようになったのは、21歳の頃から。
今でもその純粋な思いを抱くのだけれども、実際にはそんなふうに生きられていないことばかり。
だからこそ、人は祈る。
「神様、今日もこの私をあなたの平和の道具としてお使いください。」
この一文を心に唱えると、私の命にも何か意味がある気がしてくる。
明日もこの祈りから始まる一日にしよう。
Lord, make me an instrument of your peace:
where there is hatred, let me sow love;
where there is injury, pardon;
where there is doubt, faith;
where there is despair, hope;
where there is darkness, light;
where there is sadness, joy.
O divine Master, grant that I may not so much seek
to be consoled as to console,
to be understood as to understand,
to be loved as to love.
For it is in giving that we receive,
it is in pardoning that we are pardoned,
and it is in dying that we are born to eternal life.
Amen.
ものすごく久しぶりにブログ更新。
このブログの文章が好きだったと言ってくれた人がいたので、ふと書きたくなった時は、密かに書いてみようと思います。