少し前から、北方謙三の「水滸伝」を読んでいます。
めちゃめちゃおもしろい!と聞いたことがあって、前から読みたかったのですが歴史のお話はどうも難しそうな気がして、一歩踏み出せませんでした。
でもこれがなんと電子書籍化していて、ここグアテマラからでも入手可能だということがわかり、最近からぽつぽつと読んでいます。
今、一巻が終わったところなんですが、ハマりそうな予感。
この本には「志」という言葉が、たくさん出てくる。
内容は、12世紀の中国、北宋末期のお話し。
腐敗した政府を倒す漢たちの話で、一人一人の葛藤や苦悩の中にも志を忘れず、その志を糧に生きていく様に心が熱くなる。
中でも、私は林冲という人が後悔と苦悩のなかで生き抜く生き様に心が寄せられます。
いくら考えても、いくら後悔しても、もう何もできない。
何もできないのに、思い浮かべるのは自分のせいで苦しみながら亡くなった、妻のこと。
なにか別のことに没頭していないと、そのことばかり考えて正気でいられなくなる。
だから、痛ましい拷問だとしても、それを受けていることでさえ少しの救いになるという。
程度はさまざまにせよ、きっと人ならだれでも、こんな苦悩に出会ったことがあるんじゃないでしょうか。
1人で抱えるには苦しすぎる、でも、頼るところも、救いもなくって、自分の心の中でその苦しみと闘わなければならない時。
志をもって生き貫く中でも、時にふとその痛みが出てくる。
心の傷を抱えながらも前へと進もうとする林冲に私はなぜか親近感を感じる。
それと、この本を読んでいて思い出したことがあります。
私は、子どものころずっと「男」になりたかったということ。
これは、子どもの頃の私の大きな悩みでもありました。
どうして、私は男の子に生まれなかったんだろう。
いつも、それを考えていた。
私には、女の子でキャピキャピしているのが、どうも性に合わなかったし、暇さえあればグループつくって陰口、悪口言っている女子たちとの付き合いが、めんどくせ~と思っていた。
一方、男というものは実に単純に生きているように見えた。(男性の方、決してバカにしているわけではないので、怒らないでくださいね。)
言いたいことは、直接言う。
さっぱりしている。
バカなことして、さわいでいる。
上半身裸になれる。
女より運動能力が高い。(←これは、本当にずるいと思った。スポーツで女子というだけで、なめられるときは、カッチーンときたことが何度か。)
女の子がつまらないことで、グチグチ言っている時間、男子はとにかく楽しそうに生きているように見えた。
私には兄が2人いるのですが、いつも兄たちのことがうらやましかった。
釣りして、
ミニ四駆はしらせて、
テレビゲームに夢中になって、
カブトムシとりにいって、
キャッチボールして、
自転車で遠いところまで旅をして、
ちょっと悪いこともしてみたり
私も、一緒に男の子の遊びをしたかった。
いつも兄たちの生き方がうらやましく思えた。
あぁ~、どうして私だけ女の子なのかなぁ。
女はめんどくさいことしかない。
と。
そう思う一方、恋する乙女でもあって、内面では女子らしいところもあったんですけどね。
そう、私は昔から男の人にあこがれていた。
男の生き様、
男の友情、
男のロマン…。
小学校の卒業文集、
「生まれ変わったら何になりたい?」
の答えは、
「男になりたい」
と書いた気がする。
でも、そう願うことは女である自分を否定することになるので、もう今はそんな風に思わないし、女である自分を大切にして生きていこうと思っています。
でも、水滸伝を読んでいて、久々に私の中の「男魂」(?)がうずきます。
国の未来のために、命をかけて闘う男たち、なんてかっこいいんだ。
どうやら、12巻くらいまであるらしいので、地道に読んでいきつつ、男のロマンを小説の中で味わいたいと思います。
一口メモ。
今まで男の子からモテた経験はないんですが、女の子からは結構モテます。
もし、本当に男だったら相当モテた自信があります。おしい!