心と会話

白髪とセニョリータ

今朝、鏡を見ていた時、決意したことがある。

 

「今後、白髪は抜かない。」

 

2年前くらいから、ちょこちょこお目にかかっている私の頭の白い髪。

初めは、「やだやだ。」と言って、抜いていた。

 

ちょっと前までも、鏡前で髪を触った時に、ちらっと輝く白い髪を発見したら、こまめに抜いていた。

 

今日も、朝髪を触っていたら、また増えていることが判明。

私の体、見えないところでちゃくちゃくと歳を重ねているんだなぁ。

 

最近そうやって自分の歳を自覚させられる場面によく出会う。

 

・記憶力が低下。すぐにものごと忘れる。(前からかも?) 新しい単語を10回くらい聞いても覚えられない。人の名前が全然覚えられない!覚えてもすぐに忘れる!ごめんなさい。

 

・肌のハリがゆるんでいる。笑った時のシワがすごい!笑 ボディが全体的にゆるんでいる!?

などなど。

 

こうやってちゃくちゃくと私は、おばちゃんになっています。

 

まだまだ子どもの心をもって生きている私にとっては、老化していく自分の体の状態を受け止めていくことに、ここ数年難しさを感じていました。

 

だから、その反発として今まで白髪を抜いていたのですね。

 

 

でも、もうやめた。

 

 

なんか、かっこわるい。

本当の自分の姿を恥じているようで、ごまかしているようで、なんか情けない。

 

そもそも黒髪の方がいいって誰が決めたんだ?

そう思う感覚って、多分社会の中で植えつけられてきたものだと思う。

でも、私はその感覚にのみこまれず、自分で考えてみたい。

白髪もシワも記憶力もそうあるべきだから、こうなっているだけじゃないのか?

 

白い髪ってなんか、やわらかい感じでいいじゃん。

歳を重ねた者にしか授かれない、生きた証じゃないか?

 

シワがあるのは、それまでいろんな表情を浮かべて生きてきた証拠じゃん?

特に、私の顔にあるのは、笑いジワ。たくさん笑った証拠じゃん?

 

記憶力悪いのは、たくさんのものを一気に吸収するのではなく、一つのものと何度も、そしてじっくりと向き合う年齢に達しているからってことじゃない?

 

 

世の中は、アンチエイジング。

 

いつまでも若く見られたいんだよね。

 

でも、それってなんで?

なんでみんな歳をとりたがらないのだろう?

歳をとることは人生の終わり、つまり死に近づいているからなのかな?

死を恐れる感覚が、歳をとりたくないという思いを掻き立てるのでしょうか。

 

このブログのページもそうなんですが、SNSとかを開くと、いつも

「40歳で、この素肌!」とか言って、すっぴん女性の広告が出てくる。

なんか、私は逆にむなしくなる。

 

40歳なら、それらしく生きればいいのに、そうしてそんなに頑張って20代のお肌を保ちたがるのだ?

 

確かに、それはそれである人にとっては魅力なのかもしれない。

 

でも、最近私はそうは思わなくなってきた。

 

私は、自分が授かったものは大切にしようと思う。

それが白髪でも、シワでも、困難でも、傷でも、痛みでも。

なんでも自分に必要なものが与えられるようにできているんだから。

 

きっと、そうやって与えられたものをギャーギャーわめかず、素直に受けとってはじめて自分の物語がスタートするんだと思うもの。

 

それに、最近何人か素敵なご年配の方々に出会って、

「こんな風になりたいなぁ。」

とかっこよく歳を重ねていきたいと思うようになったのもあります。

 

さらに、50代、60代はこんなことしていたいなぁという夢、目標もあって、歳をとるのも楽しみになってきたんです。

 

 

だから、もう白髪はほかっとこ。

むしろ、50歳には全白髪のイケてるおばちゃんを目指して、いまから大事に育てていくか!

 

そういうことで、私は自分の重ねていく歳を愛しながら生きていくことに決めました。

 

アラサーも悪くない!

今まで見えなかった世界を日々発見できる、そんなおもしろいオトシゴロ★

載せる写真がないので、最近アートのクラスで子どもと一緒に描いた木の絵をのせておきます。根っこが力強くっていいでしょ!? 

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