アンティグア

痛ましいニュースと私

最近、考えていること。

 
「ニュースってなんのためにあるんだろう?」
 
世間を知るため
 
世界を知るため。
 
 
私も教員として、世間のニュースや政治のことなど、一般常識として世の流れというものを知らなければならないと思っていた。そして、それに対して自分の考えをもち、生徒に語ることができるのが、立派な大人だと思っていた。
 
 
でも、なんかわかんないな。
 
数日前、授業でシルビアと会話する中で、フランスでテロがあったことを知った。
しかも聞くと内容がかなり残酷。
 
普段はネットも遅いし、日本のニュースとかネットで調べたりしないけれど、気になったのでヤフーニュースを開いてみた。
 
するとテロのことはもちろん、日本でも信じられないような悲しい事件が起きていることを知る。ヤフーニュースの見出しはほとんどがそんな悲しい事件を伝えてくる。
 
それらを見れば見るほど、悲しくなる。
考えてしまう。
 
殺される直前の人の気持ち、
遺族の心の痛み、
殺した人の心情と私にはわかってあげられないその理由、
 
 
考えれば考えるほど、苦しくなる。
 
ニュースってなんのためにあるのかな?
 
苦しみを分かち合うためにあるのかな?
人の不幸を知って、自分の幸せを感じるためにあるのかな?
人の事件から教訓を学んで、何かに生かすためにあるのかな?
 
 
シルビアと世界はどうなるってしまうんだろうって、話してて、
私は
「自分には何ができるかわからない」
っていうと、
「できることなんてないよ」
とかえされた。
 
そう、私もそう思う。
テロの事件を聞いても、自分にISの人の考えを変えて、テロを起こさないようにすることはできない。
 
結局、悲しい気持ち、苦しい気持ちを味わうことしかできない。
 
そこにメディアが伝えてくれるものの意義があるのだろうか。
私には何もできることがないのに、なぜニュースは伝えられるのだろう。
 
テレビの画面も、ネットの画面も、新聞も、どんどん流れていく。
どんどん次から次へとまた次の悲しいニュースを運んでくる。
でも、本当はそのひとつひとつの事件は続いていて、10年前の事件も20年前の事件もいまだに家族は苦しんで、向き合って、今日も涙を流しているかもしれない。
 
結局私には、それらの事件したいしてできることってほとんどない。多分ゼロ。
 
ニュース聞いて、悲しんで、苦しんで。結果なんの変化ももたらせない自分。
じゃぁ実際私にできることって何?
 
って考えると、
 
隣にいる人に笑顔で話しかける
目の前で苦しんでいる人がいたら助ける
悲しむ人がいたら話を聞いて一緒に泣く
相手が喜ぶことを考えてそれを全力でやる
 
 
そういうことなんじゃないかと思う。
 
だかた悲しいニュースに痛める心の労力よりも、今横にいる人を幸せにするために何ができるか真剣に考えることの方が、世の中平和になるんじゃないかな。
 
 
うーん、まだまだまとまんないけど、そんなことを考えた今日でした。
 
私の考えていることって変かな?
 
 
 
今日学校の先生と偶然とある場所であった。
彼はいっつも冗談ばかり。
とにかく笑っている。
 
「なんでそんなにいっつも笑っているの?」
 
「世界は何が起こるかわからない。明日死ぬかもしれない。だから、僕たちは「今」を生きるしかできないんだ。ハハハー!」
 
さりげなく言ったそのスペイン語のセリフがすっごくかっこいい!って思ったんだけど、覚えられなかった。
 
 
明日、前のブログで紹介したJardín de Amorに行けることになりました!
そこでどんなこと感じるんだろう?
楽しみです!
 
写真:学校のお庭に生えている不思議な植物。
悲しい事件の裏に、たくさんの感動も毎日生まれていること、気づける自分でいたいです。
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