つぶやき

「なんとなく」あるものとのお別れ

先週の3連休は、とくに大きな予定もなかったので、ここ数年間できていなかったお片付けをしました。

グアテマラから帰ってくると、いつもあちらから持って帰ってくる荷物で部屋がすごいことになっていました。

(今年はもう物販をやる気力もないので、商品的なものはあまり持って帰ってこなかったので、そこまで荷物で埋まることはなかったのですが)

それにしても長いこと自分の部屋がカオスになっているのを、いつかはなんとかせねばとずっと思っておりました。

そろそろ人間らしい部屋にしたいと思い、3連休に入る前日にこんまりさんの『片付けの魔法』を読み、メンタルセット。

この本は、もう何度も読んでいるけど、本当に片づけを通して、人生をどう生きるかを考えさせられる本。世界でベストセラーになったのもわかる。

そうして、幕を開けた片付け祭り。

初日は、服。

数年前もかなりの服を処分したけれど、改めオールシーズン分引っ張り出してみると結構な量。

日本は、四季があるので季節ごとに服がいることもあり、どうしてもグアテマラの生活よりも服は多くなる。(ちなみにグアテマラにいるときは、年中大した温度変化もないので4着くらいをぐるぐるひたすら着まわしているので、服がめちゃくちゃ少ない)

そして、2日目は本の整理。

アメリカ留学時代の本も、そろそろ手放していいかなと思えました。

 

3日目は、その他の小物の整理。

このとき、なんとなくあるもの、なんとなくずっと持っていたものをどんどん処分。

なくても全然生きていけるのに、なんとなくもらって、なんとなく捨てられないもの。

そういったものが、自分のまわりには大量にあることに気が付かされました。

まだ小さいころやもう少し若いころだったら、そういったなんとなくのものをもっていても、まだ自分の部屋や自分の心もストックできる場所がたくさんあったので気になりませんでしたが、30歳を過ぎると人生はどれもこれも取り込むことはできないのだと気が付いて気ました。

全てのものは選べない。

限られた人生で、選んでいかなければならない。

なにかを得るときは、今あるなにかを捨てることをしなければ、人生はどこかで詰まってくる。風通しが悪くなる。

30超えたら、何かを得ることよりも、手放すことの方が大切な気がしています。

本当に自分にとって価値あるもの、必要なものだけを残して、そこへ自分が持っているエネルギーを集中させて投入する。

それは、行動や習慣もそうだし、所有物もそう。

そう考えながら、「なんとなくある」ものをどんどん手放してみました。

結果的に、ごみ袋8個部分を処分しました。

ようやく人らしい部屋になりました。

ものが一気に減り、掃除もしやすくなりました。

なんとなく飾られていたものを捨て、空いたスペースに大切な人たちの写真を置きました。

自分の人生が、少しシンプルになり、本当に大切なものを感じやすくなった気がします。

 

あいかわらず心が晴れわたらない日々を過ごしていますが、自分の環境を整え、少しだけ前へ進めた気がします。

 

「なんとなく」な物事と向き合う時間は、もうもったいない。

「自分にとって価値あるもの」と向き合うために、自分の命の時間を使っていきたいと思います。