家族&地元

『幸縁』はいつだって自分の周りから

最近、インスタのハッシュタグをつけなくなった。

多分、SNSで広報するのであればもっとSNSをうまく使うべきだというのは、わかっている。

でも、33年間生きてきた中ですでに数えきれない人との出会いがあり、その出会いすらまだまだ大切にし切れていないというのに、これ以上積極的に自分を売りだして、まだ見ぬどこかの誰かさんとつながることってそこまで必要なのだろうか…って思ってきたの。

 

人生の有限性、
自分一人が持っている体力、時間、気力も無限ではない、
誰かに対して真心尽くして生きていこうと思った時、そうやって接することができるのは何人なのだろう。決して、今の私の器ではそこまで多くない気がする。

 

それならば、もうすでに出会っている人との縁を大切にしたい。

あるとき、決めたのだ。

「自分の人生で出会った人に私との出会いを後悔させない生き方をする」

と。

そういうことを思うのは、いつだって、そう生きられなかった過去の失敗から。
過去には、私が傷つけてしまった人や、嫌な思いをさせてしまった人もたくさんいるだろう。そういうつもりがなくても、そうマイナスな方向に関係が転がってしまったこともいくらかあった。だから、せめてこれからは、そういう心持ちで人と関わっていきたいと思うのであります。

 

さて、私がこれまでの人生で出会った人は、いったい何人いるのだろうか。
地元、小中学校、高校、大学、留学、職場、協力隊、SNS…。

1万人は超えているのかなぁ。

どうだろう。

改めて、今まで出会った人に与えてもらったものをお返ししようとするだけでも、人生全然足りなくね?

と思います。

 

新しい出会いは、なんだかわくわくドキドキして刺激的だけれども、これまで出会った人ともそこには不思議な縁があったわけなのだよね。

 

先日、「ちょっとだけ助けてください」の記事で各種募集をした時に、インスタの宣伝用チラシをだれかつくって~!って呼びかけたときに、いち早く連絡をくれたのが私の人生で一番初めに友達として認識している幼馴染のわかなである。

 

わかなと遊んでいた時の私は、まだ人間ができていなかったので、かなりやばめの人間だったと記憶している。

忘れられないエピソードの一つがこれ。

あるとき、公園で遊んでいたら、犬のほやほやウン〇をもろに足で踏んでしまった私。

「最悪!!なんで、私がこんな目にあわなきゃいけないの!?私だけこんな思いするなんて不公平じゃない?ねぇ、わかなも踏んでよ。」

と言いつける、野蛮人サキ。

心の優しかったわかなは、私に言われるがままに素直に自らそのウン〇を靴で踏みつけたのでした。(優しすぎね?)

 

 

幼いころにたくさん時間を過ごしたものの、その後歩んでいる人生は全く違って、彼女はもう中学生の息子さんがいる3児の母。

小学校までは一緒に登下校していたけれども、中学校になってからは付き合う友人のタイプも違い、まったく関わることもなくなった。

かれこれ20年くらいは大した付き合いもなく、それぞれの人生をそれぞれ生きているだけの存在。

そんな中、どうにかこうにかインスタでつながって、いつの間にか私のことをすごく応援してくれる存在に。

そうして、作ってくれたのがこちら!

バイトでちょっとチラシを作ったことがあるってくらいの経験しかないのに、自らこうして連絡くれて、お願いを引き受けてくれて、素敵なチラシを作ってくれました!

主婦業もあって忙しいだろうに、そんな中時間を割いて作ってくれたその気持ちがうれしくって、なんだか幸せな気持ちになりました。

 

やっぱり人の「幸」というのは、人と人とのご縁の中で生まれるものなのだなぁと、改めて思ったのでした。

 

地元で与えられた出会いは、自ら選んだものではない。
たまたま同じ場所に家があっただけで出会っただけの人たち。

でも、だからこそ、その出会いを大事にできる生き方をするのであれば、それは自分の都合で物事を取捨選択する生き方ではなく、自分に与えられた運命を積極的に受け入れ、謙虚に誠実に、真心で生きていける生き方なのではないだろうか。

そう、だから私は地元に対して私という資源を使って還元することを決めています。

大して何もないごくありふれた町に、私という起爆剤をぶっこんで、その町の未来をより豊かにしていく計画を練っています。

だから、私は全国で有名になる必要はないんです。
私の実家がある町内にも2000世帯の家庭があるそうです。その2000世帯に何かしらの良い変化をもたらすことができたら、それってとても価値あることではありませんか?
だから、今は自分の地元の人たちに、私が地球の裏側でこんなことをしているってことを知ってもらうことを目標としています。その計画も、少しずつ動き始めました。

 

マザーテレサは言ったんですよ。

「僕もカルカッタに行きたいです!」といってきた日本人青年に対して

「日本にも、日本のカルカッタがあります。」

と。

 

この言葉の意味を考えるようになってから、グアテマラのことばっかりやってたら、だめだなって思ったんです。

私は人生の中でグアテマラにも恩があるから、今はこうしてこちらに来ているけれど、本当は母国のことを第一に考えるべきだし、生まれ落ちた場所である地元にある課題に対して私ができることを考え、行動することでしか、真実の人とは言えないでしょう。

 

大きなことでなくてもいい、

海外でなくてもいい、

目の前の人でいいじゃないですか。

今、つながっている人の幸せのために、今日何か一つ行動するだけでいいじゃないですか。

 

でも、それができていないのが日本って国。

私は、それを自分の作り上げた学級で目の当たりにし、自分の無力感を感じました。(この話は、またどこかでしたいと思います。)

こんなにも恵まれているのに、
こんなにも一人一人に誰かを助けられる力があるのに、

どうして、行動しないのだろう。

 

そんなことを考え始めると、とても孤独感を感じ、憂鬱な気分になってしまいますが、

今回、こうしてただ家が近かったってだけのわかなが、自分のできる範囲の中で私のために時間を使ってくれたこと、思いをもって行動してくれたことが私はチラシの出来なんかよりもうれしくて、こうしてその気持ちをブログに書く残したくなったのでした。

Love your neighbors.

目の前の人から、はじめよう。

幸縁はいつだって、自分の周りから。