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英語教師の違和感

私の職業は、中学校の英語教師だったわけだが、この職業を心底愛していたかと言うと、Yesとは言えない。

「教師」というとこには、魅力がある。
ただ、英語を教えることに関して、正直そこまで夢中になれなかった。
その理由は、その子のレベルや能力、習熟度に合わせて授業内容を決めらず、結局こちらからの押し付けになってしまい、そこに何やら違和感を感じずにいられなかったから。
というのも、中学の出口に入試があって、その入試に合わせて文法や単語など、一定のものを教えなければならない。だから、その子のレベルなど関係なく教えるべきことははじめから決まっている。
だから、英語そのものの魅力よりも、結局いかに英語の知識を身につけさせるかになってしまって、私も生徒もいつも何かに追われるようにやっていた。
英語がもともと好きな子はいい。
でも、そんな中でだんだんついていけなくって、嫌になって、わからなくなる子は、全体の場では置き去りになってしまうことは必ずでてくる。
こんなにレベルに差があるのに、同じテストをやらなければいけないという苦しさ。
レベルがあっていないのに、とりあえずこれだけは覚えておけ!
と言って、テストのための授業になってしまい、結局英語でコミュニケーションをとる力なんてつけられなくって…
そんな中でも出来るだけ、英語で人とつながることの魅力を伝えようと授業を設定したりしたけど、まぁ限界を感じていた。
それを繰り返していくと、少し諦めに近い気持ちになってきて、中学校の英語教師というものにそこまで熱い気持ちが湧かなくなった。
でも、今日感じた。
やっぱり語学力が持つ力ってすごい。
まちを歩いていて、いろんな人が声をかけてくれた。
その度におしゃべりして、自分の過去の2年間でいろんな人とのつながりができたことを心で感じた。
これがただ、観光客として来ていて、この村の人ともボディランゲージや通訳を通しての関わりだとしたら、この感動は決して味わえないだろう。
はじめは何も分からなかったスペイン語。
でも、勉強すればできるようになるんだ。
勉強して、一つ一つできることが増えると、ものすごく自分の人生が持つ可能性が広がる。
感動が増える。
単純なことだけど、今日はそうやって心から思った。
語学は力だ。
人とつながる道具。
この道具が使えると、めちゃくちゃ面白い。
英語もスペイン語もどんな言語だって、やっぱり入試という誰かに評価してもらうためにやるんじゃない。
自分が自分とは全く違う誰かとつながる楽しさに出会うためやるものなんだ。
グアテマラ人の感覚は日本人と全然違う。
でもその違いに出会うたびに、おもしろさがあったり、時に理解できなくて忍耐を身につけたり、知らない世界が見えてくる学びがある。
この感動をもう一度中学生の伝えたくなった。
やっぱり勉強っていいもんだ。
すごい力だ。
日本では、どの子も中学までは勉強できる環境がある。
これがどれだけ恵まれていることなのか、きっと日本の世界だけで生きていたらわからない。
でも私は、見たいと思う。
グアテマラのいいところも悲しみも。
それが見えてきたら、きっと日本の教壇で伝えられることも変わる。
勉強できることの幸せ、そこから生まれる可能性を今、とても感じる。
次は、この村のマヤの言葉、ツトゥヒル語を習得したいな。
お世話になった先生に挨拶しにいったら、大きくなった子どもたちに会った!!
いつも事務所へ遊びに来て、変なテンションだった子も、中学生になって落ち着いた女の子になっていてびっくり!
はじめて会った時は小3だったのかな?
小さい体でお母さんのビーズ製品をいつも学校の前に売り歩いていた。
今は小6で声変わりもしていて、おどろいたー。

 

 

この子たちが小4の時、クラスの先生に頼んでかけ算のペア練習活動の動画をとらせてもらった。
今では6年生でみんな大きくなったなー。
かけ算、言えるようになってた。
学校って、いいな。
子どもがもつ力ってすごいな。