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人の存在が心に染みるとき

こんにちは!

 

衣類を熱湯消毒&Colemanのカッパを着て寝るということを続けてみたら、新たなダニ刺されがなくなった気がします!

 

体がかゆくないって、幸せなことなんですね。笑

 

 

今日は、心がプルっと震える出来事がありました。

 

午前中、教育学区長と来年の活動に向けて会議を行いました。

以前から、彼は私の話を理解してくれないことが多く、話がかみ合わないことが多々ありました。

 

また、JICAは県教育事務所が申請したのであって、自分が希望したわけじゃないといって、私とあまり協力したがらない姿勢もあり、結構苦労した一年でした。

 

しかし、来年私が行ってきたプロジェクトで成果のあったものは残していきたいのですが、ここで学区長とうまくコラボできなければ、絶対にうまくいきません。

 

そういうわけで、今日は来年どのように活動を行っていくのか、私とカウンターパートが提案した計画について彼の考えを聞き、私たちのなかで合意を得るというのが目標でした。

 

 

今回は、私だけの力ではまたいつものように、意見が合わないところは私の活動を軽く扱われて終わることが目に見えていたので、私の派遣の申請を出した張本人である、県教育事務所の方にも会議に来ていただきました。

 

 

来年の計画について、発表する私。

 

それに対して、案の上、筋違いの意見を言ってくる学区長。

 

あ~、また平行線になりそうだ・・・。

 

そう思っていたところで、県教育の方が、私の攻撃的な言い方とは違って、とても穏やかに、でも説得力のある言い方で、それは、もう私の言いたいことを100%代弁して言ってくれました。

 

カウンターパートとも、私はよく意見が合わず、うんざりしてしまうこともおおいのですが、彼は、本当に話がよくわかる人で、本当によく私のことも理解してくれ、いつも助けられています。

 

彼が、とても分かりやすい言葉で学区長にいろいろと誤解や理にかなっていない点を論じてくれているとき、私は、

 

(こんなにも、私のことをわかってくれる人がいるなんて・・・。)

 

と、若干泣きそうになりました。

 

その時、セニョリータは思った。

 

(人に自分のことを深く理解してもらえるって、なんてうれしいことだろうか。)

 

と。

 

ここ、グアテマラでは日本人の感覚、私個人の考えなど、自分が感じること、思うことを理解してもらえないことがとても多いです。

 

理解されないことがあたりまえなので、そのもやもやを押し殺すこともしばしば。

 

そんな日常だからこそ、こんなにもグアテマラの人に私のもがきや違和感を深く理解していただけたことは、素直にうれしいことでした。

 

 

それと、同時にこんな問いも。

 

(自分はどれだけ、他の人の思いを理解できているだろう。)

 

 

そんな問いをしていると、司馬遼太郎の「21世紀に生きる君たちへ」(朝日出版社)の中にある一節を思い出しました。

 

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「いたわり」

「他人の痛みを感じること」

「やさしさ」

 

みな似たような言葉である。

この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。

根と言っても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである。

 その訓練とは、簡単なことである。例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、そのつど自分の中でつくりあげていきさえすればよい。

 

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人が感じた痛みを、想像する。

 

これが、他人を理解することの始まりなのかも。

 

よく、「相手の立場に立つ」と言いますが、それはつまり、相手が感じた痛み、喜びを自分のものとして想像すること。

 

これが、自分の中にある「やさしさ」を育てていく方法なのかも。

 

この「想像する」って人間にしかできないものですよね。

 

そこに、また人としての生き方について、考えちゃうなぁ~~。

 

 

今日感じた、うれしさを、私も誰かに流せる人になりたいな。

 

 

 

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いつもありがとう!!