数年前から、頭で考えてきたことを文字にしてみようと思う。
私には疑問がある。
人は、幸せになるために、幸福を追求すべきものなのだろうか。
これがわからない。
理論上では、自分がなりたい姿をゴールに描き、そこへ向かうために足りていないものを集めていく努力をすれば、いつかそこにたどり着けるものだと思う。
でも、人の幸せもこの理論で説明ができるのだろうか。
私は、自己の幸せを求めれば求めるほど、苦しくなった。
求めても、努力しても、人生はそんなに一筋縄では行かずに、求めれば求めただけ、それが遠退いている気がして、どんどん惨めになっていく気がした。
ある時、ふと開き直ってみた。
もう、不幸でもいいや。
誠を尽くした結果が、自分の望む未来ではなかったとしても、それはそれで受け止めよう。
幸せになれなくてもいい。
損したっていい。
惨めになってもいい。
そんな風に思い始めたら、邪念が消えた。
世界が前より輝いて見えてきた。
小さなことに幸福を感じるようになった。
自分と関わる人たちを愛おしく思えるようになった。
結果的に、「幸」を感じる瞬間が増えた。
なんなんだこの人生のパラドックスは。
つかもうとすると、つかめないのに、
つかむ気がなくなったら、湧いてでてくる。
幸せを追求することは人生においては大切なのだろうか。
はたまた、不幸を受け入れる覚悟をもって、抗うことなく日々を生きることが大切なのか。
私にはわからない。
できればどちらの視点も持ち合わせていたいところだが、この2つの心構えは、1人の人間の中に共存できるのだろうか。
結局何が言いたいのかわからないブログになったが、ここ数年間考えていたことを言葉にしてみた。